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色々な本の読み方の提案をしているブログです。

世界文学を100ヶ国分読んでみた【全100冊紹介】

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元々読書好きを自称してはいたものの、なんだかんだいって結局読んでいるのは欧米や日本人作家の作品ばかり…。そんな折にこの、世界各国の代表的な小説を一年で196冊読んだ方の記事が目に飛び込んできて、早速自分もやってみようと決意したのが2016年初頭。それからちょこちょこ特定の国の本を探しては、読み進める事丸三年!ようやく100冊読み終える事ができました。まさかここまで時間がかかるとは思っていなかったものの、海外文学の造詣を深めるとびきり良い機会になりました。ひとところに居ながらにして、ここまで自分の世界が拡がるとは思わなかったなぁ。

読んだ世界の小説100冊

今回の試みでは、各国に所縁のある作家の作品を読み、あらすじと感想を地域順に並べています。そのため、舞台が必ずしもその国に設定されているとは限りません(例えば、ポーランド出身の記者が描いたアフリカのルポ作品は「ポーランド」に分類)。この方が、「ポーランド=アウシュヴィッツ」といった、特定の歴史的事象や固定観念に縛られない作品選びができると思ったから故です(結局、結構縛られちゃってますが)。また、生まれた国から亡命したり移住したり、結局どこそこの国の作家、と言いにくい方に関しては、ぶっちゃけ適当です苦笑(異論があればぜひコメントで!)。

ではでは、早速各国の作品をご紹介!

東アジア

韓国/「菜食主義者」ハン・ガン

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

舞台:現代韓国 おすすめ度:★★★☆☆

韓国文学ブームの火付け役と言っても過言ではない筆者の代表作。ある日突然肉食を拒否し始めた、ごくごく「普通」の主婦であるヨンヘに、彼女の夫・義兄・姉のそれぞれが苛烈な化学反応を見せる。肉を断つ、という些細な事が引き摺り出す人間の否応なき獣性とは。軍隊上がりの義父はヨンヘの顔を鷲掴みにしながら口に肉を突っ込み、夫は無理矢理体を重ね。人間が「生きる」という事は他者の生と性の上に成り立つもので、それを受け入れられない者はヨンヘのように、植物になる≒自死するしかない。常日頃何の意識も伴わず行なっていた事が、ふと空恐ろしくなるような一冊だった。作者が意図しているか分からないけど、自殺の是非についても考えてしまった。私は以前から本当に死にたいと思っている人は、黙って死なせてあげるべきではないかと考えるタイプの人間で、ここまでヨンヘの衰弱を阻止しようとする彼らに違和感を覚えてしまった。例え家族でも、望むのであれば目を瞑りたい。

中国/「赤い高梁」莫言

赤い高粱 (岩波現代文庫)

赤い高粱 (岩波現代文庫)

舞台:1930年代山東省 おすすめ度:★★★★☆

日本兵による暴虐が横行していた1930年代の中国山東省。「私」の祖父母が出会ったその日から、脈々と受け継がれる反骨の物語が始まる。実の祖父のように可愛がってくれた使用人の生皮が日本兵によって剥がされる様、真っ赤な実がたわわに実る高梁の茂みの中で交わる祖父母、芳醇な酒の香りを嗅ぎながら育った父の幼少期、反乱分子同士の諍いー数々の鮮烈な情景が、順不同に描かれる。終始加虐者として描写される日本人として読むのは辛いものがあったが、どこか荒唐無稽な内容は、重い心で読むのではなく、もう少し力を抜いた心持ちと視点で読むべきなのではないかと思わせる何かがあった。ガルシア=マルケスのマジックリアリズムに多大な影響を受けた本作も、ファンタジー要素は『百年の孤独』と比べるとだいぶ抑えられているが、何よりも読後も瞼の裏に焼けるように残るは強烈な赤、紅、朱。その美しく残酷な世界を一度でも良いので堪能して欲しい。好き。

チベット/「雪を待つ」ラシャムジャ

チベット文学の新世代 雪を待つ

チベット文学の新世代 雪を待つ

舞台:1980から2000年代アムド地方 おすすめ度:★★★☆☆

前編と後編の対比が凄まじいチベットの長編小説。前編の舞台はチベット東北部。山に囲まれ半農半牧の民が静かに暮らすマルナン村では、村長の息子であり主人公のぼく、幼馴染のタルペ、ニマ・トンドゥプ、そしてセルドンの四人が野を駆け巡る。白く覆われた山裾に朝の陽光が当たり雪面がキラキラと光り輝く様、凍てつく空気に喉が締まり吐いた息が染まる様、チベットの大地に子らが跳ねる姿が眼前に広がるようでただただ美しい。しかしのんびりとした暮らしも時が進むと共に不可逆的な変化を経て、後編、二十代後半になったぼくは息が詰まるような都会でただ一人雪を待つのだった。大人に諾々と従うだけだった四人の子供が成長し、それぞれの欲に溺れるようになった現代。そんな今の時代だからこそ、人として忘れてはならない宝が何かを呼び覚まし、心に刻み付けてくれるような作品だった。

台湾/「歩道橋の魔術師」呉明益

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

舞台:1979年台北 おすすめ度:★★★★☆

1979年台北、まだ聳え立つような高層ビルも珍しかった頃。今はなき「中華商場」の各棟を繋いだ歩道橋の上で、焼餅、金魚に作業靴、色とりどりの商品を並べた物売り達の中で一際異彩を放っていたのが、そう、魔術師の彼だった。商場を駆け抜ける我々の足も彼の前ではピタリと止まり、次々と繰り出される奇術に魅了されー。魔術師に惹かれた少年時代を懐古する登場人物達。まるで生きているかのようだった黒い小人、三ヶ月もの間忽然を姿を消した少年、不幸を予測した石獅子、着ている間だけ懐かしい人々が会いに来てくれた着ぐるみ、透明な金魚、蘇りかけた文鳥…。

短編を読み進む程、現実と幻想の境界が曖昧だった頃の自分を思い出せずにはいられない。そういえば、自分も「不思議な力がある」と言って転校生の白鳥さんから渡された、青いビー玉を後生大事に持っていたなぁ。そんな自分が堪らなく懐かしく、そして愛しくなる一冊だった。文体は淡白なのに強烈な感情を想起させられる点で非常に力強さを感じさせる作者、他の作品も是非読んでみたい。

日本/「伊豆の踊子」川端康成

伊豆の踊子 (新潮文庫)

伊豆の踊子 (新潮文庫)

舞台:20世紀初頭の伊豆 おすすめ度:★★★☆☆

実は初めての川端康成作品。かなり肩肘張りながら臨んだが、本作の中短編はいずれも読み易く、純粋に内容を受け留め楽しむ事ができた。「伊豆の踊り子」ーどうにもならない孤児根性を治すため、伊豆へ自戒の旅に出た主人公。そこで出会った旅芸人一行、特に14歳の踊り子の屈託のないあどけなさに徐々に心が洗われていく様を描いた青春物語。「温泉宿」ー温泉宿で働く女中達と、曖昧宿で春をひさぐ女達と。代表作よりこっちの方が女性同士の遣り取りや心情がリアルで全然好き。「抒情歌」ーこちらも好き。死んでしまったあなたとあの世で会うよりも、紅梅に生まれ変わったと信じて語らいかける方がどんなに良いか。陳腐な現代小説を読むよりも失恋で傷んだ心に効きそうだ、とジーンとしていたら、作者が失恋の整理のために書いたらしい。「禽獣」ー代表作と打って変わって人間の酷薄さを巧みに表現している。反吐が出そうな主人公の考えや行動なのだけれども、なぜか一種の親近感を感じざるをえない。川端康成作品の行間を読ませる技法と、真意が後からつまびらかにされる倒置法的な構成に最初は戸惑ったが、無駄な肉を一切排除しながらも美しく情景や心情が描写されている様に感動した。

東南アジア

フィリピン/「鰐の涙」アマド・V・ヘルナンデス

アジアの現代文芸 フィリピン1 鰐の涙

アジアの現代文芸 フィリピン1 鰐の涙

舞台:20世紀ルソン島 おすすめ度:★★☆☆☆

マルクスの共産主義に傾倒し数々の労働ストライキを主導、その後反乱を首謀したとして投獄されたフィリピンの筆者が獄中で執筆した作品。小作人達の労と財を骨の髄まで搾り取り、私欲を満たさんとする地主のドニャ・レオナに、信と義を持って真っ向から対立する教師の主人公。彼の言葉に触発され、地主に買収された政府官僚の「鰐」らを含め一掃しようと団結した小作人達の行く末は…。「彼らを人間として扱って下さい」この一文が作者の想いを総括しているかのようで印象的だった。また、フィリピンの動植物や料理名など、固有名詞を変に訳さずそのままに残してくれた訳者の心意気が好みだった。

ただ、現代の作品に毒され過ぎているのか、理想主義に燃える主人公が最後には悪に打ち勝つ勧善懲悪の物語…なのかどうかがエンディング近くまで気になり悶えに悶えたので、ここではハッピーエンドかバッドエンド、どちらに転ぶか敢えて曖昧にして皆さんにも同じ苦しみを味わって欲しい笑 そして興味を持たれた方は、大同生命国際文化基金のサイトでなんと無料で電子書籍をダウンロードできるので是非読んでみては。

インドネシア/「美は傷」エカ・クルニアワン

美は傷―混血の娼婦デウィ・アユ一族の悲劇〈上巻〉 (新風舎文庫)

美は傷―混血の娼婦デウィ・アユ一族の悲劇〈上巻〉 (新風舎文庫)

舞台:20世紀タシクマラヤと思われる架空の街 おすすめ度:★★★★☆

欧米版の装丁に一目惚れし購入したが本当に買って良かった!こちらもマジックリアリズムをふんだんに用いた幻想色がとても強い作品。架空のインドネシアの街を舞台に繰り広げられる、とある一族の物語。非常にマルケスの作品の雰囲気と似ているが、登場人物全員により愛嬌と諦めにも似た明るさが感じられる。オランダ植民地時代、農園主の息子と異母妹との間に生まれ、後に娼婦となった混血の娘、デウィ・アユ 。そして彼女と客達の間に生まれた四人の娘達。時代に翻弄されながらも、悲しくも可笑しい生を精一杯歩む彼女達の姿から目が反らせなかった。最初は意図が汲みにくい時系列入り乱れた構成も、最後にはあっと驚く秘密が隠されており、非常によくまとまっている。現地の迷信や信仰だけでなく、湿度と匂いが感じられるような生々しい描写もとても良かった。オススメです。

シンガポール/「サヤン、シンガポール」アルフィアン・サアット

サヤン、シンガポール―アルフィアン短編集 (アジア文学館シリーズ)

サヤン、シンガポール―アルフィアン短編集 (アジア文学館シリーズ)

舞台:1990年代シンガポール おすすめ度:★★☆☆

独立後の経済成長を支えるために外国人労働者を積極的に受け入れ、実に人口の三割を市民権も永住権も持たない外国人が占めるようになったシンガポール(2019年JETRO調べ)。そのためか、日本人が旅行や出張で訪れる事はままあれど、そこに実際に人が住まい、日々の些事に足を取られ気を揉む住民がいるという事実は忘れがち。そんな「シンガポール人」の息遣いに焦点を当てた12編から成る短編集。

私は現実逃避のために読書に耽る側面が強いのだけれども、まさかの逃げたかった日常という生温い地獄が広がる作品でした笑 飲み込んだ言葉、ついた溜息、宙を彷徨う視線…が描かれた作品群。ふと瞬間に思い出す「ああ言っていれば」は、気付いた瞬間にはいつだってもう遅い。登場人物は実に様々ー主婦、未亡人、同性愛者の男女、死期迫る青年。彼らの「楽しかった」「辛かった」「苦しかった」という一言では括れない感情を伝えるためにある本に思えた。確かに人の感情の渦が一言二言で説明できるのであれば、小説は必要ない訳で。眠れぬ夜の窓越しに見える対岸の明かりを描いた 「対決」、家庭教師の青年が置いていった「傘」、友人と家族の間で揺れる主婦を題材にした「誕生日」が特に何とも言えない読後感で良かった。

マレーシア/「きのこのなぐさめ」ロン・リット・ウーン

きのこのなぐさめ

きのこのなぐさめ

舞台:現代ノルウェー おすすめ度:★★★☆☆

いつもと何ら変わらない日に、突然30年以上連れ添った夫を亡くした筆者。生まれ故郷であるマレーシアから遠く離れたノルウェーという異国の地で、突如強いられた孤独と悲しみから救ってくれたのは、まさかの「キノコ」であった。何の気なしに参加したキノコ講座で開けた未知の世界。そこではキノコの全てー色、大きさ、手触り、香り、味、音も!ーを全身全霊を傾け体感しながら「今、その瞬間」と向き合わなければいけないのだ。そしてキノコ狩りという静謐な儀式を共有する愛好家の仲間達と共に、様々な場所に出掛け様々な人と出会う内に、まるで菌糸が伸びるようにコミュニティが拡がっていく。道すがら、思いもよらない発見や邂逅を果たす事も。気が付けば、悲しみで沈んでいた心も身体も軽くなっていてー。作者がゆっくり、しかし確実に辿った回復の道のり、もとい「キノコの道」を千姿万態の鮮やかなキノコの写真と故郷の思い出と共に体験できる。そして読書中猛烈にキノコが食べたくなる事請け合い。ちなみに本文で私は「キノコ」と八回書きましたが、本書では約120種紹介されてるそうです笑

同じく大切な家族を亡くした作者の実体験を綴った『』(本ブログ記事でも紹介しています)と併せて読んでみても面白い。

ベトナム/「戦争の悲しみ」バオ・ニン

戦争の悲しみ

戦争の悲しみ

  • 作者:バオ ニン
  • 出版社/メーカー: めるくまーる
  • 発売日: 1997/06
  • メディア: 単行本

舞台:1960から70年代ベトナム戦争中のベトナム おすすめ度:★★★☆☆

500人の内10人しか生き残らなかったという大隊に所属し、戦争の全てを目の当たりにした作者の実体験に基づく処女作。ベトナム戦争によって運命を決定付けられた男女の物語。主人公キエンは高校卒業と共に軍に志願、クラスメートのフォンは彼の出兵に同行するも、戦いが勃発し…。戦争から10年以上が経った後も、キエンの思考はふとした拍子に度々過去へと舞い戻ってしまう。戦争は終わるものではないから。罪は為され、傷は残り、悲しみと痛みは続くものだから。楽しかった記憶は、もう決して手に入る事のない幸せの、悲劇の記憶は、自分の無力さと空虚の証左として死ぬまで残るのだ…。

実は読了後しばらくは感想が書けなかった本作。内容が思い出すのも辛いものだったから。この記事のために、となんとか捻り出しましたが、やっぱり辛いのでこれくらいで失礼します。

カンボジア/「バニヤンの木陰で」ヴァディ・ラトナー

バニヤンの木陰で

バニヤンの木陰で

舞台:1970年代ポル・ポト政権下カンボジア おすすめ度:★★★☆☆

主人公の実体験を元にした小説。元々学生時代から興味があった事もあり、ポル・ポト政権下の惨状を捉えたルポや、当時を舞台にした小説はかなり読んできたつもりだが、初めて生まれが王族の人々の境遇を知る事ができた。しかし徹底的に知識人・富裕層を排除しようとした政権の思想故か、彼らが辿った末路はその他大勢のそれと酷似しており、迫り来る飢えや病、暴力に対して富と地位が何ら防波堤にもなり得なかった事を知る。そんな地獄の中で、「言葉」が父を死に追いやると同時に、父からの最後の贈り物として主人公の生きるよすがとなったのが興味深い。何も縋るものがない時に、言葉や詩や物語がどれだけ希望の光となり得るか…。カンボジアの数々の民話と共に、主人公の心情を映す鏡として動植物が生き生きと描かれ、美しい自然描写が挿入されているのも良かった。

同じ題材に興味がある方は、本作と同じく虐殺を生き延びた少女による手記『最初に父が殺された―あるカンボジア人少女の記憶』や日本作家によるSF小説『ゲームの王国』もオススメ。

タイ/「観光」ラッタウット・ラープチャルーンサップ

観光 (ハヤカワepi文庫)

観光 (ハヤカワepi文庫)

舞台:現代タイ おすすめ度:★★★☆☆

タイを舞台に、強靭かと思いきやどこか儚い、様々な絆のカタチを描いたタイ系アメリカ人による短編集。「ガイジン」ー東南アジアに住まう人々と、彼らをどこか下に見る外国人との微妙な上下関係を的確に捉えた意欲作。「カフェ・ラブリーで」ー貧しい兄弟の成長物語。「徴兵の日」ー唯一無二の親友との関係も、徴兵の日を迎えー。「観光」ー視力を失いつつある母と子の最後の観光。「プリシラ」ーカンボジア難民のとある女の子との一瞬の思い出。「こんなところで死にたくない」ータイ人女性と結婚し、タイに移住した息子に介護される私の苦渋の日々。「闘鶏師」ー全てを奪われても、矜持のため闘鶏に命を捧げる父とその娘、など七編。 全体的に優しいトーンの話が多いが、個人的には「ガイジン」と「こんなところで死にたくない」がタイトルに反して特に暖かい気持ちになれて好きだった。日本人の多くが観光のため訪れるタイ。部外者の我々の視点からは、決して見る事のない日常が垣間見れる貴重な作品。

ミャンマー/「マヌサーリー」ミンテインカ

マヌサーリー

マヌサーリー

  • 作者:ミンテインカ
  • 出版社/メーカー: てらいんく
  • 発売日: 2004/08/01
  • メディア: 単行本

舞台:恐らく1950年代のヤンゴン おすすめ度:★★★☆☆

面白い、とても面白いエンターテインメント小説だった!敢えてジャンルで括るとすればなんだろう、怪奇幻想探偵冒険小説?!占星術師かつ超能力実践家という異色のバックグラウンドを持つ(ちょっと胡散臭いと最初は思ってしまった)著者による、ミャンマーの長大な歴史・伝説・宗教観・風俗をベースにしたアジア版『ダ・ヴィンチ・コード』…!骨董品店を営む主人公が苦心の末に手に入れた由緒正しき小壺、そこに刻まれた「マヌサーリー」という名前。そして同時期に人伝てに聞く、絶世の美女の突然の失踪…矢張り彼女の名前も「マヌサーリー」だった。この妙な符合は偶然か、はたまた運命か?手掛かりは彼女の左手のジェーダーの印だけ。主人公が安楽椅子探偵とは真逆の行動力ある快活な好中年だったおかげか、ヤンゴン市外にも色々と連れて行ってくれて楽しめた。一日かけて遠出する代わりに、場所も時代も駆け巡るこの小説の世界に身を浸してみては。

南アジア

インド/「真夜中の子供たち」サルマン・ラシュディ

真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)

真夜中の子供たち〈上〉 (Hayakawa Novels)

舞台:1915から1977年インド、パキスタン、バングラデシュ おすすめ度:★★★☆☆

1947年8月15日のちょうど真夜中、独立国となったインドと腰で繋がったシャム双生児のごとく生まれ落ち、産声を上げたサリーム・シナイ。キュウリのような鼻と真っ青な瞳、そしてテレパシーの能力を授かった彼が死の淵に立つ今語る自身の半生は、必然的にインドのそれと共鳴するものであった。 カシミール、アーグラ、ボンベイ、ラホールにダッカ。世界大戦、インドの分離独立、中印国境紛争に印パ戦争。時代の波に流され移動するサリーム一家の軌跡ーいや、珍道中の方がしっくりくるかーを辿る内に、インドの宝石のように輝かしく、腐乱死体のようにグロテスクな姿が浮き彫りになっていくー。

人口密度が高い、化け物のような作品だった。まず時間の概念がヤバイ。直線的に連続しているかと思いきや、永遠に停止する事もあるし、輪廻のごとく回り続ける事もある。絶対性や唯一性なんてものはなく、自己や国や歴史も、どの時点でどこにどのような状態で誰がいたかで認識が変わる、という事を一編の小説で表現したかったのだろうか。多次元を平面で捉えようとしたピカソの絵画みたいだと思った。 時と共に変わる国々の様相を捉えようとする場合、例えば三人の登場人物を、それぞれインド・パキスタン・バングラデシュに配置させて生涯を追えば簡単にできるかもしれない。それをせず、一人の人間サリームの口を介して、主観によってどこまでも可変する世界を描いた作者の技巧にただひたすら唸ってしまった。

本作が気に入った人は、作者が触発を受けたと公言しており本記事でも紹介している『ブリキの太鼓』も是非読んでみて欲しい。

バングラデシュ/「赤いシャールー」ショイヨド・ワリウッラー

赤いシャールー

赤いシャールー

  • 作者: ショイヨド・ワリウッラー
  • 出版社/メーカー:財団法人大同生命国際文化基金
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

舞台:近代のバングラデシュの農村 おすすめ度:★★☆☆☆

日本ではなかなか手に入れにくいバングラデシュの文学作品。飢えに喘ぐ故郷を後にし、辺境の村に辿り着いた自称聖職者は打ち捨てられていた墓を勝手にイスラムの聖廟とし、人々の信頼と安寧を手に入れる。重ねた嘘に対する罪悪感もやがて消え、自らまでもが信じるまでになった彼だったが、アッラーの力の前にはやはり無力、最後には…。中東のイスラム文化が未だ浸透しきっておらず、土着の神秘主義と混じりつつある土地特有の葛藤が面白い。ただ、ストーリーよりも村の景色の一瞬一瞬を切り取った文章に心が奪われた。「あの肌のすべすべした色の黒いあの子。喉をふりしぼって歌をうたうと、田んぼにさざ波が走るようなあの彼は?」噎せるような森の香りと、湛えた水に月を映した田の光景が眼前に広がるようだった。

スリランカ/「」ソナーリ・デラニヤガラ

波 (新潮クレスト・ブックス)

波 (新潮クレスト・ブックス)

  • 作者: ソナーリ・デラニヤガラ,佐藤澄子
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る

舞台:2004年12月26日のスリランカから現代まで おすすめ度:★★★☆☆ 

22万人もの命を奪ったスマトラ島沖地震により、両親、夫と二人の息子を失った筆者の手記。拒絶と憤怒から、徐々に過去を受け入れ未来に目を向けるまでの、長い長い癒しのプロセスを追体験した。思い出が詰まった実家に戻るまでに三年を要した、という記述に作者の傷の深さを思い知る。当時高校生だった私にとって、スマトラ島沖地震は人生で初めてその影響を強く意識した自然災害だった。次々とテレビで流れてくる映像にいてもたってもいられず募金活動をしたり。この災害をきっかけに、より世界に目を向けるようになったものの、心が引き摺られるのが怖くてずっと一次情報に触れるを避けてきたけど、15年近く経った今、この本のおかげでようやく一区切りつける事ができた。 ちなみに、作者はその後この本のファンであった役者の方と再婚されたそう。ただただ幸せである事を願うばかり。

パキスタン/「ダーダーと呼ばれた女」ハディージャ・マストゥール

ダーダーと呼ばれた女

ダーダーと呼ばれた女

  • 作者: ハディージャ・マストゥール
  • 出版社/メーカー:財団法人大同生命国際文化基金
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

舞台:20世紀後半のパキスタン おすすめ度:★★★☆☆

パキスタンの女性作家によるウルドゥー語で執筆された短編集。あれ?地獄かな?どれもこれも何をどう足掻いてもBAD END、雑巾絞りのように人間の尊厳の強度を試す物語ばかり。世界文学の楽しみ方は、例え地球の裏側に住まう人達の生活であっても自分が送る日々との共通項が見出せる事だと個人的には思っていたけれど、この作品は違う、幸いにも(と言うのが嫌だけれども)、有難い事に、違う。

そして悲劇というとロシアの作家ガルシンを思い出すけれど、マストゥールの短編はより階級社会、そして男尊女卑的な社会に求められる役割とその無情さに焦点を当てている。賃金という代償と引き換えに足蹴にされる使用人の運命を描いた「ボールカー」に「取引」、一部の人間の欲により引き起こされた戦争の贄となった人々を描く「戦線遠く」「恋人に会いに」「連れて行って、あの人の家に」。「連れて行って〜」は他の作品と少し毛色が違って、この世ならぬ雰囲気が漂っていて好きだった。 この異色な作品群も本記事で紹介した『鰐の涙』同様まさかの無料で読めるので、興味を持たれた方は是非大同生命国際文化基金のサイトへ。え?!本当にこんな良著が無料でいいの?と未だに半信半疑です。

アフガニスタン/「灰と土」アティーク・ラヒーミー

灰と土

灰と土

舞台:1979年ソ連侵攻時のアフガニスタン おすすめ度:★★★★★

ソヴィエト軍によるアフガニスタン侵攻時。主人公である老人は、とある報を伝えるため炭鉱で働く息子の元へと赴こうとするがー。ああ、衝撃、衝撃、ただひたすら衝撃の一冊。咎めと悔悟を含んだ「君は」の二人称で、恐ろしくスローペースに描写される、土埃にまみれながら道端で途方に暮れる老人の姿。彼の傍には幼い子が一人。そこからの老人の行動一つ一つに、言葉には尽くしがたい重みが伴いつつ、ゆっくりと悲痛な物語が紐解かれる。老人が目にしたものは何なのか。そして、今何を一心に語ろうとしているのか。びっくりする程活字が大きく行間も広かったので一瞬で読み終わったが、その字数の少なさとは裏腹に、砂漠一つを抱えているかと思う程重かった。とにかく、とにかくこんな一冊があるとは思わなかった。もっと多くの人に読んでもらいたい。

イラン/「ルバイヤート」オマル・ハイヤーム

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

ルバイヤート (岩波文庫 赤 783-1)

舞台:11世紀ペルシャ おすすめ度:★★★★★

さいっこう…。すばらしい…。と語彙が限りなく少なくなる至上の一冊。諸行無常の世を語ったペルシャの四行詩、何が良いって落ち込んだ時に読むと全てがどうでも良くなって心が軽くなる事。要するに人間なんて皆すぐに死んじまうんだからとにかく酒だ酒〜!という酒乱にとっても最高な内容なんだけど、小川亮作訳がいちいち格好良い。語るより読んでもらった方が早いので、特に好きな二節を紹介します:

地の表にある一塊の土だっても、
かつては輝く日の面(おも)、星の額であったろう。
袖の上の埃を払うにも静かにしよう、
それとても花の乙女の変え姿よ。

たのしくすごせ、ただひとときの命を。
一片の土塊(つちくれ)もケイコバードやジャムだよ。
世の現象も、人の命も、けっきょく
つかのまの夢よ、錯覚よ、幻よ!

青空文庫でも読めます!

西アジア(中東)

イラク/「死体展覧会」ハサン・ブラーシム

死体展覧会 (エクス・リブリス)

死体展覧会 (エクス・リブリス)

舞台:現代イラク おすすめ度:★★★☆☆ 

暴力と抑圧が日常茶飯事だと伺える、1970年代のイラク生まれの筆者の短編集。戦争、テロ、拉致に拷問、血と、肉に、骨。あるべきではない物事がいとも簡単に家に、庭に、路地に侵入し、日常を侵す。そして加害者と被害者の立場も、まるで爆撃に遭ったかのようにすぐさま暗転し。これらの暴力は決して「不条理」なんかではなくて、この世界の「条理」なのではないかと思える程だ。文体は淡々としているが、ずりずりと地獄に引き込まれるので読む人は注意!一般人を殺害し、芸術的に街中に展示する事に対して報酬が支払われる表題作の「死体展覧会」、金髪の二人の偉業に狂う「自由広場の狂人」、暴力の象徴とも思えるナイフを消す能力を持った仲間達の「アラビアン・ナイフ」が14編の中で特に好きだった。

シリア/「酸っぱいブドウ/はりねずみ」ザカリーヤー・ターミル

酸っぱいブドウ/はりねずみ (エクス・リブリス)

酸っぱいブドウ/はりねずみ (エクス・リブリス)

舞台:現代シリア(紛争前) おすすめ度:★★☆☆☆ 

アラブでも短編の名手として知られるシリアの作家、ザカリーヤー・ターミルの作品。中でも本二作は紛争前に執筆されたもの。「酸っぱいブドウ」は強きが弱きを挫き、持つ者が持たざる者を虐げるシリアの日常を風刺した寓話59編(!)から成る。60歳で身篭った胎児と共に永遠の眠りにつく女、出世のために妻の不貞に目を瞑る男、強姦罪を申告しようとした先々で繰り返し犯される女…。各々が欲を追った結果を淡々と突き付けるも、どの話もどこか他人事に聞こえてしまう。まるでアラブの人々が興じる根も葉もない噂話のように…。「はりねずみ」は打って変わって少年の視点から日々が描かれる。質問攻めに辟易する両親、いじわるだが時に優しい兄、話し相手になってくれる壁や猫。しかしあどけない彼も父の手に引かれ街中を歩けば、圧倒的な暴力の残滓を目の当たりにし、やがて嫌が応でも成長していくのだった。

「酸っぱいブドウ」はあまりにも短編の数が多くて途中放り投げそうに…。シリア人のおばちゃんの長話に付き合わされていた頃の感覚と全く同じで、一瞬中近東に戻ったかと思った。そのせいもあって個人的には「はりねずみ」の方が、シンプルな残酷美があって好き。しかしいずれの作品でも理不尽の権化として描写される「警察」の姿が、その後戦火に呑まれたシリアを示唆していると思う。作者が紛争後に執筆した作品があれば、そちらも是非読んでみたいと思った。

レバノン/「アイデンティティが人を殺す」アミン・マアルーフ

アイデンティティが人を殺す (ちくま学芸文庫)

アイデンティティが人を殺す (ちくま学芸文庫)

舞台:1990年代執筆 おすすめ度:★★☆☆ 

アラブ系レバノン人としてキリスト教信者の家庭に生まれながらもその後、難民となりフランスに移住した筆者。そんな彼による「アイデンティティ」を題材にしたエッセイ。世界文学でも頻繁に扱われるトピックだからこそ、本記事での紹介は絶対に外せない。1998年に執筆されながらも、未だ「我ら」と「彼ら」といったレトリックを用い、大衆を分断しようとする指導者が健在である現代の通読に充分耐え得る内容だった。

まず、アイデンティティとは個人の国籍・民族・ 言語・ 宗教・政治観・経験などの多様性を全て内包するものであり、それぞれは不可分の関係にあるため、どれか一つだけを取り出しその人の全てとする事はできない事(日系二世の私に、日本とアメリカのどちらに帰属意識があるのか尋ねる事がナンセンスであるように) 。勿論それぞれの重要性は人によって異なるものの、それすらも時代や状況によって変化する事(ある時代では「プロレタリアート」と自認していた人間が、後に「ユーゴスラビア人」となり、「イスラム教徒」となったように)。そのために、グローバル主義と言いながら西洋の価値観を押し付け、アイデンティティの画一化(西洋化)を求めてしまう事の危険性を指摘している。

だからこそ、このエッセイで書かれているように他者と自分を分断する事柄よりも結び付けるものに目を向ける事によって、明るい未来が必ず来ると諦めない筆者の楽観性を、私は嘲笑うよりも敬慕したいと思った。

イスラエル/「地下室のパンサー」アモス・オズ

地下室のパンサー

地下室のパンサー

舞台:1947年エルサレム おすすめ度:★★★☆☆ 

イスラエル建国前夜、未だイギリス統治下にあった1947年のエルサレム。イギリス軍曹と密通していたとして友人らから「裏切り者」のレッテルを貼られた12歳の少年が、次第に周囲の世界に対して目を開いていく様を描いたビルディングスロマン。ホロコーストの惨劇を盾にパレスチナの人々を弾劾する今のイスラエル政府がどうしても許せなくて、そういった自分の気持ちが読書の邪魔にならないか心配していたのだけど、この人の作品は誰かを「被害者」「加害者」と区分けするのではなく、できるだけ「人」として捉えようとする心が感じられ良かった。ついに建国の悲願が達成された日、透徹した理論で常に自分を武装していた父親が初めて見せた涙、息子に語ったユダヤ人だからこそ受けた過去の辱め。このシーンでユダヤの人々の何百年も堆積した想いが襲いかかってきて、胸が痛くて痛くて仕方がなかった。それだけに今の世情が残念でならない。ただ、政治的感情を混ぜて読むのは作者の意図する所ではないと思うので、今みたいに穿った読み方をしないようにもっと勉強して、経験して、感じて、考えて、精進したいと思った。

パレスチナ/「ハイファに戻って/太陽の男たち」ガッサーン・カナファーニー

ハイファに戻って/太陽の男たち (河出文庫)

ハイファに戻って/太陽の男たち (河出文庫)

舞台:1948年以降パレスチナ おすすめ度:★★★★★ 

昔一度読んで半ばトラウマになりかけて、その後に二年程シリア難民支援に携わってから、本当のトラウマになってしまった本。一夜にして祖国を奪われてしまった人間の声なき叫び、涙なき慟哭が、ページを捲る度に押し寄せてきて、あの胸を抉られるような日々と重なった。何とか前を向かなければいけない、というただその一心だけで今回、何度も何度も本を置きながらやっと再読できた。

情景描写と心理描写の融合が本当に巧みで、どんなシーンも眼前に迫り、登場人物の心の動きに自らのそれを重ねてしまう。(「四人の憔悴した一行を乗せた車は、まるで熱い錫の薄板の上に垂らされたねっとりした油の一滴のように、砂漠の中を進んでいった…」この一文からだけで切迫した状況が遅々として解消されない絶望感が伝わってくる)。それ故一話一話があまりに重過ぎて、近過ぎて、息が詰まりそうになるのだけれど、この作品が「人間の犯し得る罪の中で最も大きな罪」を記した「告発書」として、できる限り多くの人々の心の中に刻まれる事を祈る。声は挙げ続けていかなければいけないから。

「太陽の男たち」ー国境という一本の線に命を左右される男達を描いた表題作。「悲しいオレンジの実る土地」ー祖国を奪われた人間は、同時に命以上に大切な何かも奪われる。「路傍の菓子パン」ー唯一支援者の側から描いた短編、とてもパーソナルな作品だった。「盗まれたシャツ」ー悲劇が悲劇を生む連鎖。「彼岸へ」ー不幸は決して平等に訪れない。「戦闘の時」ー五リラを巡る子供達の闘い。「ハイファに戻って」ー祖国とは何か、犯してはならない罪とは何か。

最後にここに記しておきたい一文を:「その人間が誰であろうと人間の犯し得る罪の中で最も大きな罪は、たとえ瞬時といえども、他人の弱さや過ちが彼等の犠牲によって自分の存在の権利を構成し、自分の間違いと自分の罪とを正当化すると考えることなのです」。

トルコ/「わたしの名は赤」オルハン・パムク

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

舞台:16世紀イスタンブール おすすめ度:★★★☆☆ 

16世紀イスタンブールで、細密画家の一人が何者かによって殺害される。「私は死体」という衝撃的な死体の一人称から物語は始まり、各キャラクター、終いには犬の絵や赤の顔彩までもが物語を紡ぎ始める。押し寄せる西欧の文化に飲まれるか、抗うか。心の内に渦巻く羨望、嫉妬、侮蔑に恐怖。それぞれの人間が胸に抱く葛藤は誰しもが共感できるもので。「絵を描くとは」ーというある種永遠のテーマにも非常に考えさせられた。しばしば退屈な部分もあったが、とある時代のとある世界の人々が囚われたテーマは、現代のどこにいても通ずるものがある。

アゼルバイジャン/「アリとニノ」クルバン・サイード

アリとニノ

アリとニノ

舞台:1914から20年バクー おすすめ度:★★★☆☆ 

未だ正体不明の謎多き作家による、第一次世界大戦からロシア革命期までの、東西新旧交わる都市バクーで出会った二人の男女の恋愛小説。幼少期から仲が良かったシーア派イスラム教徒のアリとギリシャ正教徒のニノ。しかし彼らを取り巻く環境も刻一刻と変わり、押し寄せる各国軍の前で決断を迫られるのだった。

色々と初めての知識に触れられて最高。元々ペルシャに占領されていた所にロシア帝国の侵攻を受けて併合されたがために、民族も宗教も混在している地域であったアゼルバイジャン。それだけに、主要な登場人物だけでもペルシア人・ジョージア人・アルメニア人(そして攻め入るロシア人とトルコ人)といて、極めて多彩。物語の主眼は東西の歴史と文化の衝突に置かれているのだけれど、そもそもペルシアが「東・古い・アジア・イスラム教」を代表するのに対して、ジョージアが「西・新しい・ヨーロッパ・キリスト教」を代表する陰陽が馴染み薄くて興味深かった。同テーマで、本記事でも紹介しているオルハン・パムクの『わたしの名は赤』と読み比べてみても面白そう。本作は舞台がアゼルバイジャンのバクーからジョージアのトビリシ、イランのテヘラン、ダゲスタンなどと目覚ましく変わるのも良かった。様々な文化を一気に体感できてオススメです。

ジョージア/「僕とおばあさんとイリコとイラリオン」ノダル・ドゥンバゼ

僕とおばあさんとイリコとイラリオン

僕とおばあさんとイリコとイラリオン

舞台:1940年代第二次世界大戦中ジョージア おすすめ度:★★★☆☆ 

ジョージアのとある田舎町。オリガお婆さんの下で暮らす僕ズラブは、毎日小言を言われながらも、割と楽しくやっている。今日もイリコとイラリオンおじさんのイタズラに付き合ってやるために、犬のムラダと畦道を行くのだった。おばあさんやおじさん達が分けてくれる食べ物が実に美味しそう。手作りのウォッカや胡桃のジャムにチーズとパン。しかし時は戦時下。それらを用意するために彼らがいかに苦労したかは一切考えずに、何の遠慮もなく受け取るズラブの様子が逆に彼らの絆の深さを物語り、ジョージアの田舎町の温もりが伝わってきた。始終付きまとう(恐らくは体制に粛清された)両親の不在や、戦争、そして飢餓の影はあくまで日常の背景であって、主役を張るのはいつだって底抜けに明るくて時折意地の悪い村の人々で。多産の豚やサクランボの木の実りに一喜一憂する彼らに、まるでズラブに分けた食べ物のように、暖かさというものをしっかりと分けて貰えた作品だった。

中央アジア

キルギス共和国/「この星でいちばん美しい愛の物語」チンギス・アイトマートフ

この星でいちばん美しい愛の物語

この星でいちばん美しい愛の物語

舞台:1940年代第二次世界大戦中タラス州 おすすめ度:★★★☆☆

原題は登場人物の女性の名を冠した『ジャミーリャ』であるものの、フランスの作家ルイ・アラゴンが「この世で最も美しい愛の物語」と評した事から邦題では『この星でいちばん美しい愛の物語』となっている本作。その名に違わず、150ページ程度の短い話ながら沈みゆく深紅の夕陽を受け輝くステップの大地で、もう言葉は不要になった二人が静かに馬に揺られる姿が美しい作品だった。大戦時、ソ連の一国として組織への帰属が強く求められたキルギスの住民。にもかかわらず戦争の大義、脈々と受け継がれてきた地域の伝統、長らく護ってくれた家族への恩と情―全てをかなぐり捨て共に在り続けようとした二人の決心が、混じり気なくただひたすらに真っ直ぐで、神々しいまでだった。決して易しくはないであろう彼らの未来、それでも幸あらんと見守る主人公の優しさも相俟り心が浄化される一冊。

中東欧

ロシア/「罪と罰」フョードル・ドストエフスキー

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

舞台:1860年代サンクトペテルブルク おすすめ度:★★★★★

ペテルブルク大学の苦学生だったラスコーリニコフは、ついに学費滞納のため除籍となってしまう。そして思い出すは下宿のすぐ側で金貸し業を行なっている守銭奴の老婆の存在。なぜ有能な自分の前途が閉ざされる中、彼女のような人間の屑がのうのうと生きているのか。彼女を殺し、代わりに自身で富を有効活用する方が、余程世のためになる。そして、非凡な我にこその資格があるのだー。妄執に囚われたラスコーリニコフは頭の中の声が命ずるままに老婆を手に掛けるが、その場に居合わせた彼女の妹まで殺してしまいー。

言わずと知れたロシア文学の名作。これだけのボリュームの作品を読者を飽きさせる事なく読ませるのは流石としか言いようがない。初めて読んだ時は、その世界を終わらせたくなくて最後の一章で読み進める事を辞めてしまった程。やっぱり何度読んでも面白い。殺人に手を染めた主人公のラスコーリニコフに、病んでいく彼を気に掛ける好青年のラズミーヒン、清廉で気位が高い妹のドゥーニャ、徹底的な自己犠牲を貫く聖女のソーニャ、悪を地で行くスヴィドリガイロフ、と様々な気概の人物が登場するのですが、読み進める内に彼らは誰しもが持っている、個人の内面を描写しているのではないかと感じるように。悔悟、驕り、矜持、慈愛、僻み、恋慕、などの様々な感情が、この重厚な作品にこれでもかと詰め込まれています。そんな中、あまり声を大にして言えませんが、主人公が一番人間らしいと思ったのは、自分だけ?

ベラルーシ/「チェルノブイリの祈り」スベトラーナ・アレクシエービッチ

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

舞台:1986年チェルノブイリ原子力発電所事故後10年のベラルーシ おすすめ度:★★★★★

目の前には、善意で差し出された放射能に侵されたサンドイッチ。貴方は食べるか食べないか、究極の選択を迫られる。しかし正解は決してない。戦争よりも突然に訪れた原子力発電所事故という危機を前に、誰しもが永遠に得られぬ答えを求め、哲学者へと変貌するのだった。人はなぜ記憶する、なぜ忘れない?死とは?生とは?いずれも同じ事?魂とは何か?人生に意味はあるのだろうか?国とは、民とは、正義とは?悲痛な問いが長く静かに谺する。

七歳の少年が来たる死を受け入れる世界。舞い散る木の葉やそよ風に恐れをなす世界。自分の余生ではなく、何千何万年後を憂う世界。現実とは到底思えないそんな世界を、当時の緊急隊員が、農家が、医師が、「チェルノブイリの人々」として語り、そして問う。出版から経た年月を思えば今や亡くなられた方も多いのではないか。いわゆる死者の声を、ある人の言葉を借りれば「塵の声」を、丁寧に取材し、余す事なく残した神品。本当に読んで良かった。このブログ記事では珍しいノンフィクションルポですが、紹介せずにはいられない、間違いのない文学的傑作です。

ウクライナ/「巨匠とマルガリータ」ミハイル・ブルガーコフ

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)

舞台:1930年代モスクワ おすすめ度:★★★★★

このブログでもう何度も紹介している程、堪らなく大好きな作品。文学の「巨匠」と言われる人物が書き上げたイエス・キリストを題材にした作中作。そして、時空を超える悪魔と!喋る黒猫と!全裸の魔女!のチンドン屋一行が夜に跋扈し、モスクワの街を狂騒と混乱の渦に突き落とす現代。そんな二軸の話がごたまぜになった、なんとも奇想天外な小説。自身の正体を隠す気はさらさらないんじゃないかと思う程に豪胆な悪魔の凶行は、時におかしく、時に心が底冷えするくらい残酷でおぞましい。人間を可愛らしい豚に変身させたかと思えば、もう一人の頭を容赦なく喰い千切ったりする。何が笑えないジョークで、何が真実か、判別がつく人間は誰もいない。しかもえげつないシーンがあるかと思えば巨匠と魔女マルガリータとの間の純愛もあったりで。もう、何がなんだか分からない!当時のモスクワの生活を揶揄したと言われる名作ですが、実は生涯を通し度重なる発禁処分の犠牲になったブルガーコフの苦悩も垣間見えます。その過程で積もりに積もった鬱憤を、私生活で気に喰わなかった人間をキャラとして登場させ、ボッコボコにする事で晴らしている点がある意味痛快。彼の執念に拍手を送るか、悪趣味と捉えるかでこの本の評価も分かれそう。 いずれにせよ、創作の世界であれば何でも叶う、文学の可能性を描いた夢のような、あるいは悪夢のような一冊です。

ポーランド/「黒檀」リシャルト・カプシチンスキ

黒檀 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

黒檀 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

舞台:1960年代ケニア・ルワンダ・ナイジェリア等他アフリカ諸国 おすすめ度:★★★★☆

周囲で読んだ人読んだ人全員が大絶賛し、手にしない訳にはいかなかったルポ。動乱の1960年代のアフリカ諸国を中心に、「20世紀の最も偉大なジャーナリスト」との誉れ高い筆者が記者として目の当たりにした、ありのままのエピソードをまとめています。アフリカだけでなく旧ソ連・南米・アジアの各国を渡り歩き、数々の著作を残した作者。いずれの作品でも歴史の転換点とも言える様々なシーンをしっかり切り取れているのは、自分の命をどうとも思わぬ放胆さがあったからでしょうか。まさしくたとえ火の中水の中、なジェームズ・ボンドのよう。こういう生き方をしてみたい、と憧れてみたり。本作で何よりも好きな点は、外国人がアフリカの実情を描く作品には珍しく、優越感に根差した穿った見方をするでも、変な同情心を抱く訳でもなく、ただただ冷静に現場を写実的に描写している姿勢。皆が賞賛するのも心の底から納得できる一作です。

チェコ/「わたしは英国王に給仕した」ボフミル・フラバル

わたしは英国王に給仕した

わたしは英国王に給仕した

舞台:1940年代プラハ おすすめ度:★★★☆☆

チェコはミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』と本作のどちらを選ぶか大いに悩むも、個人的にフラバルの軽快な文体に隠された思慮深さが大好きなので、今回はこちらを紹介。

1940年代のチェコ。億万長者を夢見る主人公はホテルの給仕見習いとして、珍妙な客共の奇怪な行動に、目を瞑りながらもしっかりと脳に刻みつけ、ひたすら夢に向かってひた走る。床に札を敷き詰める豪傑からエチオピア帝国最後の皇帝をもてなす彼は、着々と出世街道を登っていくが、ナチスの占領や共産主義の大波に抗うべくもなく。波に飲まれた末に、あちらに座礁したかと思えば次はこちらへ引き摺られ、歴史に翻弄される彼がついに辿り着いた場所はー。

一体どれだけの経験を積めばここまでの感性が得られるんだろう、と読み終えて途方にくれた一冊。ただ、この年で読みたくないとも思ってしまった。もっと老いてからでいい。山に籠って安寧を得るよりも私はまだ、窓から硬貨を投げ落として人を弄んでいた頃の主人公のような、浅ましくて青臭い人間で在りたい。

スロバキア/「墓地の書」サムコ・ターレ

墓地の書 (東欧の想像力)

墓地の書 (東欧の想像力)

舞台:1990年代コマールノ おすすめ度:★★★☆☆

この物語の語り手であり作者はサムコ・ターレ…かと思いきや、実際はダニエラ・カピターニョヴァーという女性作家の手による架空の登場人物。そしてターレ本人が自負している知性や人々からの信頼は持ちあわせているようには思えない…。いわゆる「信頼できない語り手」による、初っ端から強烈な違和感が炸裂する怪書。

とにかく彼サムコ・ターレはある日、酔っ払いの占い師に「墓地の書」を書き上げると宣告され、運悪くいつも仕事で使う荷車を修理に出さなければいけなくなったので、作家になる事にしたのだ。彼の書では日々コマールノで出会う人々と、彼らについての感想が淡々と綴られる。ハンガリー人やジプシーは信用ならない、やはりスロバキア人が最良だ。ホモやレズを見つければ申告して刑務所送りにするべきだし、働かない奴は給付金を貰うべきではない。恐らくは周囲の人間の言葉をそのまま鵜呑みにしているのであって、彼が悪い訳でも、変わっている訳でもない。なのに本当に無知ゆえの猿真似なのか、実は彼自身の悪意が潜んでいるのか、途中から分からなくなってしまってゾッとしたのは自分だけだろうか。

こういう体の小説は大体子供の視点で語られる事が多い気がするのだけど、今回なぜ作者が44歳の知的障害の男にした理由が分かって唸った。サムコが捉える周囲の価値観は、スロバキアの共産主義から資本主義への体制の変化によって180度反転するからだ。ただ、差別やステレオタイプなど根強く変わらない価値観もあり。数十年の時を経て何が「当たり前」で何が「そうではない」のか、主人公の目を通して変わっていく様子が素晴らしかった。あと地味に核心を最後まで引っ張る演出が憎い笑 良著だ。そうだろう?そうだとも。

ハンガリー/「悪童日記」アゴタ・クリストフ

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

舞台:1944から45年の第二次世界大戦中ブダペスト おすすめ度:★★★★☆

ハンガリーからスイスに亡命した作家が、フランス語で執筆した処女作。三部作の一作目。固有名詞はないものの、第二次世界大戦中のブダペスト包囲戦時の話と予想される。大きい町から小さい町へ、おばあちゃんの下に預けられた双子の「ぼくら」。戦争を生き抜くために必要な忍耐と残虐性を、ただ粛々と、淡々と鍛え上げて行く。信頼できるのは互いだけ。そんな毎日の特訓を彼らが本作である「日記」に綴る。極限まで主観を削ぎ落とした文体が捉える人々の浅ましく残酷な行為は、誰しもが心に抱く人間の本質故か?それとも、戦争という緊急時だからこそ引き出された人間の異常性か?答えは読者のあなたに委ねられる。性描写がかなり過激なので確実にR指定なものの、双子が書いた文章という体をとっているので、非常に読みやすい。ラストも衝撃的。個人的には、常に論理的に行動する双子が、ふと取る説明のつかない行動に、人間のいじらしさと愛しさが感じられて好きだった。そういった何気ない行為を探しながら読んでみてください。

ボスニア・ヘルツェゴビナ/「宰相の象の物語」イヴォ・アンドリッチ

宰相の象の物語 (“東欧の想像力”)

宰相の象の物語 (“東欧の想像力”)

舞台:1820年代トラーヴニク他 おすすめ度:★★★☆☆

四つの短編から成るノーベル賞受賞作家の作品。『ドリナの橋』が有名らしいが、より手に入り易いこちらを選んだ。同じ言語と文化を共有するものの、主にイスラム教を信仰するボシュニャク人、正教会の信徒であるセルビア人、ローマ・カトリックの信徒であるクロアチア人で構成され、かつオスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ナチス・ドイツの為政を経て共産主義国家となった複雑な民族的・歴史的背景のためか、「何が正義的・倫理的に絶対なのか」を問う作品が多かったように思う。

「宰相の象の物語」ー異論を唱える者は問答無用で極刑に処する、絶対的為政者である宰相の気まぐれにより連れてこられた象。その傍若無人な態度に痺れを切らせた民衆はー。結局オスマン帝国の機嫌によって生死が決定付けられる宰相の運命と象の姿が重なる表題作。「シナンの僧院に死す」ーとある高名な修道士がいまわの際で思い出す、過去の罪二つ。この水死体の話、実際に作者が見た情景では…?と疑いたくなる程のリアリティ。「絨毯」ー例えその権力を得たとしても、超えてはならない一線とは。「アニカの時代」ー特に好きだった短編、絶世の美女が齎した混沌とは。悪の定義、そして制裁が非常に男性中心的で興味深い。「どの女にも悪魔が住んでいる。その悪魔は労働か出産によって、あるいはその両方によって殺さなければならない。もしその二つを免れる女がいたら、その女を殺さなければならない」。女の自由が許されなかった何百年も前の時代の話だが、今もそう変わらないのでは…。

セルビア/「死者の百科事典」ダニロ・キシュ

死者の百科事典 (創元ライブラリ)

死者の百科事典 (創元ライブラリ)

舞台:いろいろ おすすめ度:★★★☆☆

幻想的だったり衒学的だったりスタイルが変わるものの、いずれもウィスキーのような酩酊感伴う死に纏わるセルビアの作家の短編群。ボルヘス好きなら絶対にハマる!自分が無条件で愛するモチーフである「本」を扱った表題作、「死者の百科事典」が一番好きだった。旅先の図書館で発見した一冊の蔵書。世界中の無名の人の生涯を仔細に記述したそれには、今は亡き父の項もあり…。エンディングがキュッと締まっていて良い。他にも異端者の目から見たキリスト世界が味わえる「魔術師シモン」、ポグロムの引き金となった史上最悪の偽書の軌跡を辿った「王と愚者の書」、奸計の有無が気になる「祖国のために死ぬことは名誉」が好きだった。事前に軽くウィキっとくとより楽しめる作品が多かったかな。シモン・マグスパリのディオニュシウス洗礼者ヨハネ耳を削がれたマルフスディオクレティアヌスの妻プリスカシオン賢者の議定書辺りは調べておいてもいいと思います。

ルーマニア/「マイトレイ」ミルチャ・エリアーデ

マイトレイ/軽蔑 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-3)

マイトレイ/軽蔑 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-3)

  • 作者: アルべルト・モラヴィア,ミルチャ・エリアーデ,住谷春也,大久保昭男
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2009/05/08
  • メディア: 単行本
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舞台:1920から30年代コルカタ おすすめ度:★★★☆☆

哲学者として、また、幻想文学の書き手としても知られる著者による半自伝的恋愛小説。インドで技術設計士として働くアランは、上司であるベンガル人技師の16歳の娘、マイトレイと恋に落ちる。決して叶わぬものと知りつつも…。一人称も合間って、特に前半は異国文化に耽溺するアランに自己を重ねて読んでしまった。刺激的なインプットが多過ぎて一切本が読めない、とか海外生活初期はほんとにあるある〜!と頷かずにはいられない。私が中近東で暮らしていた時は、あれだけ読んでいた本に半年間一切手をつけられず、脳の情報処理が追いつかずに午後七時には寝てしまっていた。あと、日記の体だからこそ描ける、ある日は〇〇、次の日はやっぱり△△、と訂正を重ねて煩悶する様子もまさしく恋に捕らわれた人のそれで良かった。一度は忘れかけていた初恋を思い出す事必至。ただ、アランが無意識的に持った異人への蔑視が透ける文も時々にあり、単純に二人の男女間の「純愛小説」と評する事はできない点が面白い。

ブルガリア/「眩暈」エリアス・カネッティ

眩暈(めまい) 〈改装版〉

眩暈(めまい) 〈改装版〉

舞台:20世紀初頭のヨーロッパ おすすめ度:★★★★★

本当に題名通り、目が回り倒れそうになる程に途方のない作品だった…。どんどん早くなる輪舞にできる事は振り落とされまいとただひたすらしがみ付くのみ。ただ、読了した今こんなにヘトヘトなのに、刺激を求めてまた手を出したくなる自分がいる。麻薬のような中毒性のある一冊。

中国学の権威であり書物の蒐集家でもあるキーンは、教養のみを友とし、それ以外の人間を侮蔑しながら研究に没頭する毎日を送る。しかし一時の気の迷いで、家政婦であるテレーゼと結婚してから、金と愛に飢えた盲者達に貪られる運命が決する。せむしのフィッシェルレに玄関番のベネディクト他登場人物は皆それぞれの「真実」という妄想の中でのみ生き、己の欲のために他者を騙し嘘を重ねる。善意は存在せず、在るとしたらただ歪んだ認識の中でだけ。妄執の中に堆積する虚偽と誤解と虚偽と誤解…はやがて崩壊し、生じた狂気の渦に読者を呑み込んでいく。

今まで衆人を管理する政府や社会を描いたディストピア小説を好んで読んでいたけど、そんなトップダウンの狂気ではなく、本作の群衆によるボトムアップの狂気を体験したのは初めて。どちらもひたすら恐ろしい。安易に人に薦められる作品ではないけど、普段の読書に何か物足りなさを感じている人は、手を伸ばしてみてもいいのかもしれない。

アルバニア/「砕かれた四月」イスマイル・カダレ

砕かれた四月

砕かれた四月

舞台:20世紀初頭のアルバニア高地 おすすめ度:★★★☆☆

ノーベル文学賞受賞寸前と謳われている作家の小説。アルバニアの高地で、国の法より絶大な拘束力を持ち、生活のあらゆる事象を縛る「掟」。文字通り血で血を洗うその戒律に則り兄の死の復讐を果たしたジョルグだったが、それは同時に彼が追われる側に立つ事を意味するのだった。そんな中、重苦しい雨のように死の因習が纏わりつく渓谷を一目見ようと、作家とその美しい妻が新婚旅行に訪れる。

永遠と続く血讐の輪廻、一人でも役者が舞台を降りれば破綻してしまう一種の様式美。未だそれが脈々と受け継がれている事に感嘆するものの、ただそれを描写するだけじゃ小説として芸がないよな…と思っていた矢先に、物見遊山に来たベシアンとディアナが登場し舌を巻く。これは、異国文化を「ロマンティック」「情緒溢れる」と褒めそやしながらその実「野蛮」「遅れている」といった蔑視が透けて見えてしまう西洋人に対する痛烈な皮肉なんじゃないだろうか…。そしてベシアンの生半可な覚悟からディアナの魂は永遠に囚われてしまう…。

世界文学を読んでると、普段自分が接しないような国の伝承や文化に触れられただけで満足してしまう事が多々あるので、そんな西洋主義的視点を改めなければな、と自戒させてくれるような作品でした。ちゃんと読んで本当に良かった。

北欧

ラトビア/「ソビエト・ミルク」ノラ・イクステナ

ソビエト・ミルク: ラトヴィア母娘の記憶

ソビエト・ミルク: ラトヴィア母娘の記憶

舞台:1960から80年代ソ連政権下ラトビア おすすめ度:★★★☆☆

「出産した女性たちは、生きざるをえない大きな檻の巣に我が子を入れる。その檻のなかで生きさせる。檻のなかの私たちは、地獄と寄生虫をよそに、聖母が授けた生ー神のいない生を生きていた。」

ソビエト政権下、ラトビアという国はもう亡く、絶望に毒された乳を娘にやる事を拒否した母。反抗という禁を犯したがためにレニングラードでの医師としてのキャリアは絶たれ、遠い田舎町にただ一人の娘と共に流される。この世という檻から何度も離れようとする母と、彼女を引き戻し、優しく介抱する娘。母子が反転したかのような奇妙な関係性はやがてー。果たして母は患者の女達に崇められるような聖母だったのか、それとも政権の悪霊に取り憑かれた他の何かだったのか。聖母が自死を望み、繰り返すその皮肉に暗澹たる気分になったが、希望そのものである娘が最後まで彼女の手を引き諦めない様子や、彼女を慕う患者達の姿に涙を禁じ得なかった。鉄の踵に圧し潰される女達のそれぞれの姿に共感する人々が多かったからこそ、ラトビアで異例のベストセラーになったのだろうか。

フィンランド/「四人の交差点」トンミ・キンヌネン

四人の交差点 (新潮クレスト・ブックス)

四人の交差点 (新潮クレスト・ブックス)

舞台:1895から1996年フィンランド おすすめ度:★★★☆☆

助産師のマリア、その娘のラハヤ、彼女の夫オン二、そして彼らの息子の妻カーリナ。百年もの年月を跨ぎ紡がれる彼ら一家の物語。語られる事が「一」あるとすれば、黙し秘される事は「十」もあり。読み手によって、感想も大きく変わるであろう作品。

家族って何だろう、結局は運と縁によって同じ屋根の下に暮らす事になっただけの他人…なのだろうか。阿吽の呼吸で分かり合えなくて当たり前。それでも昼夜共に過ごせば情は湧く、何かをしてあげたいと思う。そんな奇妙な関係の人間を擁す家は、呪いで人を止める牢獄か、安住をもたらす聖域か。

後書きにもあったけど、カーリナが、せめて母親にでも相談できていたなら、誰か一人には幸福が許されたのではないか、と思ってしまう。何のための秘密なのか、自分のため、それとも他者のため?結果的にはマリアの秘密主義がラハヤの口をも噤み、オンニの自滅に繋がり、カーリナに受け継がれ、永遠に家族の闇を葬り去ったと思うと、どうにも遣る瀬無い気持ちになってしまう。暗黙の了承が通用する障子文化の日本では成立し得ない、届けたい声をも風雪が搔き消してしまうフィンランドだからこそ成立し得る話なのかも、と心を痛めながら思った。

スウェーデン/「バラバ」ペール・ラーゲルクヴィスト

バラバ (岩波文庫)

バラバ (岩波文庫)

舞台:紀元後30年頃エルサレム おすすめ度:★★★★☆

過越の日にイエス処刑の身代わりに釈放され、ゴルゴタの丘での磔刑を免れた悪漢バラバ。そんな彼の信仰への迷いと葛藤を描いた傑作、傑作!神に身を捧げ、愛餐で絆を深める信者の恍惚とした表情と、無慈悲なまでの徹底的な神の不在の間で、彼の心は揺れ動く。二百ページにも満たない作品ながらも、様々な解釈が可能、それ故に何度も読み返してしまうのは自分だけではないはず。気に入った方は是非同じ「信仰」をテーマにした遠藤周作の『沈黙』や、同時期の様子をマリアの視点から描いた『マリアが語り遺したこと』(本作のマリア像と一致している気がします)やピラトの視点から描いた『巨匠とマルガリータ』も読んでみてください。

ここから先はネタバレ注意!

悩みますがやはりバラバは最後に「死」と共に「神」を受け入れたのではないかな、と思いました。以下はその結論に至るまでの考えをまとめたメモです。

・暗闇は死を表す:イエスの死際に丘を覆う暗黒、兎唇女が石打の刑に処される際にいた穴を満たす闇、地下墓地の闇など
・そして神は死の中にもいる:「わしの神さまはどこにでも、暗闇の中にでもおいでになるのだ」
・というよりも、神と死は不可分である:「彼らは、神に祈るために、神と結ばれおたがい同志が結ばれるために、あの冥府に集まっている」
・それ故、信者は死をも礼賛する:「彼らは死そのものを礼賛した」
・しかし、「バラバは死というものはきらいであった。絶対にきらいだった。死とか死に関係あるいっさいのことは彼が最も忌み嫌っていたからであった」
・反面、死の権化でもある復活者のみがバラバにパンを分け与え、愛餐を共にした

・光は神の力と同時に、その不在・不確実性を表す:イエスの後光=目の錯覚、イエスが復活するとする日の朝陽=神が復活した決定的な証拠はなし、炭鉱から地上へ上がった際の陽光=神の国はまだ来ず、地下墓地から火に飲まれるローマ=約束された終末ではなかった

・バラバは「闇=死」と「光=不確かな神の存在」を交互に繰り返し体験し、信仰と不信を行ったりきたりする

・そして、バラバとイエスは全てにおいて鏡像のように対比される存在 :
イ→か細く薄い胸板/バ→屈強、毛深い胸
イ→磔刑で真ん中/バ→磔刑で端
イ→磔刑で最初に死ぬ/バ→磔刑で最後に死ぬ
イ→身内や友人に嘆かれて死ぬ/バ→孤独に死ぬ
イ→死を嘆く母/バ→自身を殺そうとした父
イ→愛を説くイエス/バ→愛を知らないバラバ
・イエスの最後の言葉は「わが神よ、なぜおん身はわたしをお棄てになったか」と神を非難
している。対して、バラバの最後の言葉は 「おまえさんに委せるよ、おれの魂を。」二人の要素が全て反対である事から、バラバは神をついに受容したのではないか。

ノルウェー/「飢え」クヌート・ハムスン

飢え (1956年) (角川文庫)

飢え (1956年) (角川文庫)

舞台:19世紀旧クリスチャニア現オスロ おすすめ度:★★★☆☆

トーマス・マンやカフカ、ヘッセなどに多大な影響を与え、20世紀現代文学の父と名高いハムスン (しかしノーベル賞作家でありながら、戦後もナチスを支持し続け、権威は失墜)のベストセラー作とあっては読まない訳にはいかない。筆者の半自伝でもある本作のあらすじは極めてシンプル、駆け出しの作家である主人公が、飢えに苦しみながら大都市を彷徨う。人間にとって根源的であるからこそ、あらゆる感情を剥き出しにする「空腹」という事象を巧みに利用しながら、極限の状態でなければ絶対に向き合わないであろう人心の深淵を暴く。

自分を敢えて追い詰めるような事ばかりして、結局は神や他人に責任転嫁する、個人的には一番嫌いなタイプの主人公。周囲の人間は優しい人ばかりなのに、主人公の卑屈さが彼らを次第に限界の淵まで追い詰める。そんな事をするから彼らの「好意」は欺瞞と浅慮に満ちたただの「行為」に塗り替えられ。狂気ってまさにこういうものなのかも?主人公の精神が腐敗臭を放つまでボロボロに崩れていく様が気味悪い。作者が影響を受けたからか、同じく自分の悪意を正当化する『罪と罰』のラスコリニコフと相似しているけど、彼の方がよっぽど素直で好感が持てる。最後ちゃんと改心するし。っかー!こんなに読んでて唾を吐きたくなるキャラは久しぶり。ある意味凄い。なんだかんだいって読んでから数日経っても毎日思い出してしまう強烈な作品だった。

デンマーク/「スミラの雪の感覚」ペーター・ホゥ

スミラの雪の感覚

スミラの雪の感覚

舞台:現代のコペンハーゲンとグリーンランド おすすめ度:★★★☆☆

自分の読書人生の原点はミステリーとサスペンスだという事を思い出すくらい、手に汗握る本格北欧ミステリー!最初の舞台はコペンハーゲン、囲むは氷雪と闇。デンマーク人の父とイヌイットの母を持つ主人公スミラ。雪と孤独を愛する彼女は他人を寄せ付けようとはせず、寄るべきなき日々を送っていた。しかし、彼女と同じように影を抱えた子供が現れて以来、ささやかな幸せの火が灯る。そんな彼が死体で発見されるまではー。死体付近で発見された不可解な雪の跡、謎のテープ、燃え盛る氷上の船。最終的に舞台は氷河漂うグリーンランドにまで及ぶ。

とにかく真相が気になって仕方がない!最後に少々失速してしまったのが残念だが、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』シリーズを始めとした北欧ミステリーが好きな人はオススメ。特に本作はデンマークと旧植民地のグリーンランド間の軋轢や格差など、文化的な背景も丁寧に描いていて、物語に厚みを与えていて良かった。 

アイスランド/「湿地」アーナルデュル・インドリダソン

湿地 (創元推理文庫)

湿地 (創元推理文庫)

舞台:2000年代レイキャビク おすすめ度:★★☆☆☆

自宅で発見された老人の撲殺体。手掛かりは、骸の上に置かれた不可解なメッセージと、被害者の過去の強姦の嫌疑だけ。記録的な雨が降り続けるレイキャビクの街で、エーレンデュル警部が奔走する。事情聴取中に別の現場で重要な証拠が、調べてる間に今度はあっちで新発見が、と思ったら今度はこっちで犯人が、と気になる事象がなんと最初から最後まで、一ページ刻みで起こっているのかと目を疑う程に、間断なく続く。息つく暇もなくページを繰り、気付いたら読了していた。まさに神業。警部の独断による行動が実際の警察機構で許されているものなのか若干疑問が湧く以外は、犯行の謎も動機も現実的で、逆に突飛な舞台装置や矛盾もなく、全体的に非常に硬派な印象。薬物問題や性犯罪の軽視など社会の暗部に目を向けているのも、安易かもしれないが北欧ミステリーっぽくて良い。ただ、夜も寝付けぬ程の面白さか、と言われるとそこまでかも。『ミレニアム』シリーズや『その女アレックス』のように、心臓が止まるかと思うくらいのジェットコースターな作品の方が個人的には好きなので、好みの問題か。しっかりと地に足ついた芯のあるサスペンスを読みたい方は是非。

西南欧

アイルランド/「ドリアン・グレイの肖像」オスカー・ワイルド

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

舞台:19世紀イギリス おすすめ度:★★★★☆

純真無垢な美青年ドリアンが、ファウスト的なヘンリー卿の甘言に誑かされ、良心と引き換えに、自らの美と若さに執着し取り憑かれていく様を描く。若くて美しい自分を捉えた肖像に、軽い気持ちで「永遠に美しくありたい」と願ったドリアン。その日から、他者を貶める残酷な行いをする度に、醜くなるのは自分の顔ではなく、肖像画の中のそれになる事に気付く。永遠の若さを手に入れたドリアンの行動は、日に日に軽率になっていき…。初めから終わりまで想定内の展開だったが、キャラクター一人一人が「立って」いて、非常に興味深く読めた。人間観察が好きな人には特におすすめの一冊。ワイルドの生涯、特に晩年の不遇を思えば、アイルランドの作家ともイギリスの作家とも言って良いのか迷ったけど、今回はアイルランドの作家とさせてもらいました。

イギリス/「リア王」ウィリアム・シェイクスピア

リア王 (新潮文庫)

リア王 (新潮文庫)

舞台:紀元前8世紀ブリテン おすすめ度:★★★☆☆

退位に伴い三人の娘への国土の分譲を約束したリア王だったが、老いにより思慮も浅くなってしまったのか、意に沿う発言をしなかった三女とおまけに忠臣までをも放逐してしまう。内心傷心の王の箍は外れ、放蕩三昧の日々。そんな彼に嫌気が差した残る二人の娘の画策にまんまと嵌り、荒野を彷徨うまでになってしまった王は、次第に正気を失っていきー。『ロミオとジュリエット』『マクベス』に次いで三冊目のシェイクスピアの悲劇。全体的に自業自得なキャラが多過ぎ、悲劇というより喜劇にしか思えなかったが、その分場面転換も多くエンタメ性も高いので、これはぜひ一度劇場で観てみたいと思った。発狂した王・乞食のエドガー・正論しか言わない道化という、物語の中でも個性際立つスタープレイヤー達が洞穴に篭って思うままに狂態を晒してるシーンが大大大好き笑 虚構の世界に真実の光を射す舞台装置としての道化が特に良いなぁ。さすが名作古典、色々と勉強になりました。

フランス/「異邦人」アルベール・カミュ

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

舞台:1940年代アルジェ おすすめ度:★★★☆☆

「きょう、ママンが死んだ」。いや、あるいは昨日だったかもしれない。とにかく、母を亡くしたムルソーは葬儀を済ませ、次の日ガールフレンドとコメディ映画を見に行き、その後海辺でアラブ人を殺害したのだった。という、あらすじが怖過ぎる笑 フランス語の勉強がてら頑張って翻訳しながら読んでいたけれでも、途中で挫折した思い出深い?本。文体は至極読みやすいものの、理解はなかなか難しい。感情が欠如した、殆どサイコパスと言っても過言ではない主人公の突飛な行動から推測するに、人生の無意味さ、しかしそれに反して無理やり意味を見出し、ましてやそれを他人に押し付けようとする社会の不条理さを描こうとしているのかもしれないが、とにかく読み終わって暫く経った今でも未だ私は消化不良な「何か」の渦中にいる。 いずれにせよ「太陽が眩しかったから人を殺す」ような、それ以下でもそれ以上でもない人生は虚し過ぎるし、そんな孤独には耐え切れない。それであれば人生に意味があるのだという壮大なテーマを掲げた舞台の役者として、私は死ぬまで嘘の中で生きていきたい。例え舞台に上がる事を拒否する他人を死刑にしてでも。

ベルギー/「青い鳥」モーリス・メーテルリンク

青い鳥 (新潮文庫)

青い鳥 (新潮文庫)

舞台:架空のお伽話のような世界 おすすめ度:★★★☆☆

読んだ気がするだけで実は読んでいない作品ランキングがあれば、上位に食い込むのではないだろうか。自分も類に漏れず、小説や漫画の引用などで知った気になっていた。魔法使いのお婆さんに頼まれ、幸せの青い鳥を探す旅に出るチルチルとミチル。そして彼らを導く「光」と「パン」「イヌ」「ネコ」などと共に、亡くなった祖父母に出会える「思い出の国」、戦争や病気が蔓延る「夜の御殿」、「森」、「墓地」、種々の幸せの形が具現化した「幸福の花園」、そして未だ生を受けていない子供達が来たる日々を待ち望む「未来の王国」を旅する。最後に少年少女が訪れた場所ではー。どのシーンが印象的だったか、それはなぜか、様々な答えが返ってきそうで、好きな人とも嫌いな人ともゆっくり話をしてみたくなるような作品だった。私自身は「未来の国」で離れ離れになったあの二人が忘れられない。それにしても、作者の指示通りに舞台化したらとんでもなく豪華な劇になりそう。一度この目で実演を見てみたい。

オランダ/「おじいさんに聞いた話」トーン・テレヘン

おじいさんに聞いた話 (新潮クレスト・ブックス)

おじいさんに聞いた話 (新潮クレスト・ブックス)

  • 作者: トーンテレヘン,Toon Tellegen,長山さき
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2017/08/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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舞台:1918年から現代ロシア おすすめ度:★★☆☆☆

ロシア革命の翌年に生まれ育ったサンクトペテルブルクを後にし、オランダへと亡命した祖父。そんな彼のお伽話に静かに耳を傾ける僕。ロシア語に存在する11種の罪の話、ありとあらゆる物を食べ尽くし、なお満たされず悲しみに暮れる熊の話。ロシア全土の犬を狩り尽くそうとした皇帝の話に、シャム双生児などの病理学的奇形のみが埋葬を許される名誉の墓の話。どれもハッピーエンドに慣らされた現代人からしたらなんとも納得のいかない、腹の座りが悪いような話ばかり。しかし、「これは、ロシアのお話だからね」とそんな言葉で締め括ってしまえるような、積雪の中静かに耐える人々のための作品なんだと思えば納得がいった。

ドイツ/「ブリキの太鼓」ギュンター・グラス

ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2)

ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2)

舞台:1924から1954年ダンツィヒ おすすめ度:★★★★★

第一次世界大戦の傷跡も未だ生々しく、次の大戦の足音が忍び寄る…そんな時代に生まれ落ちた少年オスカルは、三歳を最後に成長する事を止めた。見た目は子供、頭脳は大人、そんな彼が戦火に呑まれたダンツィヒをブリキの太鼓を片手に行進する。

ヤバイ、凄い、ヤバイ、本当にヤバ凄い作品だった。実は第一章のジャガイモ畑のシーンがあまりにつまらないわ訳分かんないわで挫折すること実に10回以上、50ページ程読んでは諦めるを何度も繰り返した本だったのだけど、いつの間にか面白過ぎて逆に置くタイミングを失する程に。人間の深淵が知りたくてホロコースト文学は様々な視点からの物を読んできたつもりだけど、蓋を開けてみればナチスやユダヤ人を主眼に置いた作品が多かった。しかしこの作品は、それ以外の人々、市井の人間の微妙な心理の変化を的確に捉え、彼らがいかに戦争に加担したかを描いている。当時のドイツ社会を具現化しているかのよう、とにかく空気感が凄い。今まで何の軋轢もなく共に暮らしていた人々を徐々に無視し、迫害し、ついには殺すようになるまでが極めて自然に描かれていて、ゾッとする。これも自分達がしでかした事を絶対に忘れさせないぞ、というかつてナチ武装親衛隊に所属していた作者の執念が成せる技なのかも。

魚を食べ過ぎて死ぬ肉親に船首像と性交する男など、嘘だろ、と思うような奇行に次ぐ蛮行に次ぐ淫行、何が何だか分からない!ただ、そんなエピソードに紛れて、水晶の夜やソ連軍による侵攻など、それこそグロテスクな現実が容赦無く挿し挟まれる。オスカルが愛読していたゲーテの教養小説とラスプーチンの性生活を描いた猥雑な小説をちょうど混ぜたような奇書の体を成しているのだが、それこそ我々の20世紀の歴史こそがこの小説以上に「野蛮で、神秘的で、退屈」だったのかもしれない。忘れたくても忘れようにないエピソードばかりの強烈な長編だった。

オーストリア/「チェスの話」シュテファン・ツヴァイク

チェスの話――ツヴァイク短篇選 (大人の本棚)

チェスの話――ツヴァイク短篇選 (大人の本棚)

舞台:1940年代前半ニューヨークからブエノスアイレスへの海上 おすすめ度:★★★★☆

これぞ!物語!これぞ!ストーリーテリングの妙!普段は数十ページ毎に一度本を置いて休み休み読むのだけど、「チェスの話」はあまりの面白さに一気に読んでしまった。物語としての纏まりとテンポの良さ、プーシキンの秀作『スペードの女王』を思い出す。

ニューヨークからブエノスアイレス行きの客船にたまたま乗り合わせた、チェス以外は愚鈍とも言える世界チャンピオンに興味を唆られた主人公他。一戦を申し込むも、全くもって話にならず、完敗を覚悟したその時ーとある観戦者の助言によりなんとか引き分けに持ち込む。謎の紳士は、チェスに触れるのは少年時代以来と謙遜するが…

前半は世界チャンピオンのサクセスストーリーに胸が高まり、後半は期せずしてチェスの天才となってしまった博士の異常な過去、ナチ政権下の時代の狂気に息を呑まずにはいられなかった。精神の健常性を保つための「ゲーム」のおかげで生きながらえたものの、果たして彼は「勝った」と言えるのだろうか。そもそもあの時代、健常であり続けた人間などいたのだろうか。独裁政権を逃れるために、オーストリアからイギリス、アメリカからブラジルまで逃げ、ついには世界情勢を悲観し自殺したツヴァイクの作品に、もっと触れたいと思った。

スイス/「アルプスの恐怖」シャルル=フェルディナン・ラミュ

アルプスの恐怖  ラミュ小説集II

アルプスの恐怖 ラミュ小説集II

舞台:19世紀後半から20世紀前半アルプス他 おすすめ度:★★★☆☆

このブログ記事の中でも抜群にホラーな表題作「アルプスの恐怖」を始めとした、紙幣にも採用されたスイスの国民的作家ラミュによる中編三作を纏めた小説集。全編を通して人知を超越した存在として自然=自由=美を描く。中でも表題作の「アルプスの恐怖」がめっちゃ怖い!本当に怖い!「ある事件」をきっかけに、一切の立ち入りが禁じられた呪いの山。しかし二十年の時が経ち、その記憶も効力も薄れたある日、牛の放牧地として活用する事が多数決で決められる。村人達の祝福によって送り出された男衆の一行だったが、なぜか一人また一人と不幸に斃れ、牛は病で全滅し、ついにはー。捉えた、と思ったそばから姿形をクルクルと変える自然の姿に息を呑むと同時に、言い知れぬ恐怖に逆に呑まれる名作、やはり人は法律や規則では縛れない理解不能なものが一番苦手なんだな、と痛感。なに?なに?と慌てている間に人がバッタバッタと斃れていく様は、小野不由美の傑作『屍鬼』に通ずるものあり。血が通っていないかのように淡々としたエンディングも最高。次作の「贋金作りファリネ」では、山々を駆け巡りながら最後まで自身の道理にのみ忠実に生きた男を描く。モデルは実在した硬貨偽造師。その姿はまさにアルプスの山のように孤高、そして崇高。最後の「美の化身」もこの世ならぬ美しさの女に焦点を当てる。いかにこの世に留め置こうとしても、自然と同じように、それは決して人間の手中に収められるものではない。まるで一本の映画を見た後のように濃密な時間を過ごす事が出来た作品で、一番好きだった。ラミュの世界の広さ、いやここで言うなれば果てしない高さ?をご堪能あれ。

イタリア/「薔薇の名前」ウンベルト・エーコ

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈上〉

舞台:14世紀イタリア(恐らくピエモンテ) おすすめ度:★★★★☆

中世イタリア。主人公であるバスカヴィルのウィリアム修道士とその見習いであるメルクのアドソは、とある会談の調停のために修道院を訪れる。しかり二人の到着を待たずして、修道院内で殺人事件が発生。二人は迷宮染みた文書館に事件の手掛りがあると推測するも、数々の妨害に遭いー。本記事でも紹介しているオルハン・パムクの『わたしの名は赤』と、昔読んだ京極夏彦の『鉄鼠の檻』が多分に本作の影響を受けていると知り、以前から興味があった上に、作者が2016年に亡くなりニュースになったので読む事に。海外のミステリー作品は殆どアガサ・クリスティしか読んだ事がない状態だったけど、面白い!連続殺人事件の舞台となる修道院という舞台装置の描写や、伏線の張り方など緻密に設計されており、これぞミステリー、という印象。また、ミステリーに留まらず、当時の宗教論争や宗教観がリアルに描かれていて非常に勉強になった(全部が全部理解できた訳では勿論ないけど)。唯一残念な点が動機が理解できなさ過ぎる点。あまりにも環境が違い過ぎるのかもしれない。それにしても『鉄鼠の檻』がこの話そのまんまで本当に笑った。

スペイン/「ドン・キホーテ」ミゲル・デ・セルバンテス

ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)

ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)

舞台:17世紀ラ・マンチャ おすすめ度:★★★★☆

風車を巨人と勘違いし戦いを挑む主人公ーこのシーンで有名な名作古典、ただし最後まで読んだ人はどれだけいるだろうか。そんな自分も類に漏れず、このブログ記事でスペインは『ドン・キホーテ』にしよう、と決めなければ絶対に読まなかったであろう作品(現代小説で引用される回数も夥しいのでいつか読みたかったのだけど)。だって1000ページ近くもある超重量級…。ついに重い腰を上げ読み始めた所、予想以上に面白くてあれよあれよという間に読み終えてしまった。騎士道物語の魅力に取り憑かれた主人公のドン・キホーテが、自らも騎士となりお供のサンチョ・パンサを引き連れ冒険の旅に出る。彼の目には宿が城となり、砂塵蹴立てる羊の群も戦場の兵と化す。そんな彼の奇行に気付けばニヤニヤ、サンチョ・パンサのボケとツッコミ兼ね揃えた異才にフフフ。そして各々の不幸と悩みを抱えたキャラクターが加わり物語はさらにワチャワチャ。極め付けには皮肉の効いたメタ要素!なんとも愉快!そして意外に下ネタも多かった笑 前編の出版後、贋作が出たために慌てて出版されたという後編と合わせた二部構成、それぞれ毛色が違う所も面白い。前編で多く見られた作中作が後編では廃されていたのが残念だったが、代わりにサンチョ・パンチョがより生き生きとしていて良かった。しかし物語には必ず終わりが必要で、筆者により無慈悲な結末が記される。寂しいなぁ。悲喜交々の大長編、この記事で紹介している100冊の中で無人島に持って行くならこの一冊かもしれない。

ポルトガル/「白の闇」ジョゼ・サラマーゴ

白の闇 (河出文庫)

白の闇 (河出文庫)

舞台:不詳 おすすめ度:★★★★☆

ある日、タクシードライバーが運転中に突然失明。その視界は白の闇に包まれる。そしてその失明症は強力な感染性を持っていたのか、瞬く間に世界は失明者達で埋め尽くされる。ただ一人、最初の患者を検診した医師の妻を除いてー。ゾンビ映画やパニック映画が昔から大好きなのでこの作品もとても面白く読めた。特に、目を背けたくなるような人間の汚い部分ー食を求めての暴力、殺人、強姦の横行などーが非常にリアルに描かれており、実際に起きてしまうのではないかと思わせるくらいの説得力が。読み終わっても暫く動悸が収まらなかった…。小説の終わり方も非常に綺麗。谷崎潤一郎を思わせる句読点がほぼない文筆スタイルに最初は戸惑いますが、慣れてくれば非常に読みやすいので、是非読んでみてください。ポルトガルのノーベル賞作家の名著、大好きです。

ギリシャ/「オデュッセイア」ホメロス

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

ホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫)

舞台:紀元前12世紀ギリシャ おすすめ度:★★★☆☆

指輪物語』や『ナルニア国物語』よりも何百年も昔から何代も口伝で語り継がれ、ようやく書き留められた冒険譚の元祖とも言える作品。現代文学でも引用される事が非常に多いのでずっと読みたかったもの。トロイア戦争に勝利し、宝と共に自分が王として座す島に帰還しようとするオデュッセウスだが、嵐をきっかけとした幾つもの厄災に見舞われ、幾数年にも渡る漂泊を強いられる。その間も健気に家を守る妻と息子だが、王の座を奪おうと数々の求婚者達が妻に迫り寄る。哀れに思ったアテーナーが息子を奮い立たせ、父の生死を確かめる旅に出るよう促すー。主人公が自分の驕りのせいで仲間の命を危険にさらしたり、異常に疑り深かかったり、案外外道な所が散見されて面白かった。

アフリカ

エジプト/「張り出し窓の街」ナギーブ・マフフーズ

張り出し窓の街 (カイロ三部作 1)

張り出し窓の街 (カイロ三部作 1)

舞台:1917から1952年カイロ おすすめ度:★★★★☆

エジプトのノーベル文学賞作家の代表的作品群、「カイロ三部作」の一作目『張り出し窓の街』。『バイナル・カスライン』としても出版されている。第一次世界大戦中のカイロ、宮殿通りに軒を連ねる張出し窓のついた家。一家の主であり絶対的権力者である商人アフマドと、従順な妻アミーナ、優秀な三人の息子と二人の娘。そんな彼らの規則正しく幸せに満ちた日常が、活発化するエジプトの独立運動に呑まれ変貌していく様を丁寧に描いた大河小説。

本作の影の主人公であるアミーナがパンを捏ねる音から朝が始まり、厳格なアフマドと息子達を送り出した後、娘達と家事に勤しむ。子らの帰宅と共に、束の間の休息をコーヒーと共に味わい、噂話に花を咲かせ、後はひたすら主人の帰宅を健気に待つ…。まるで自分も彼女の子の一人にでもなったかのように錯覚し、家族の幸不幸の一つ一つに一喜一憂してしまった。彼らは誰も完璧ではなくて、むしろ欠点の方が多いくらいなんだけど、本物の家族と同様にどうしても憎めない。

合わせて1368ページの超大作、手にとって読み終えるまでに実に三年かかった本だったけど、一族の生と死を30年にも渡って刻んだ証だと思えば、日に一章どころか彼らの日常と同じペースで読むのが正解なんじゃないか考えてしまう程だった。本当に終わり方が憎い…。愛した人が亡くなって、その意思を継ぐ子にまた子ができて…連綿と続く人の営み、その醜悪さと唯一無二の輝きに、魅了され続けた幸せな読書体験だった。これを書き上げた作者にただただ敬意を表したい。間違いなく彼らと共に私はカイロの激動の日々を生きた。

スーダン/「北へ遷りゆく時」アッ=タイーブ・サーレフ

北へ遷りゆく時/ゼーンの結婚 現代アラブ小説全集 (8)

北へ遷りゆく時/ゼーンの結婚 現代アラブ小説全集 (8)

舞台:1960年代スーダン おすすめ度:★★★★☆

20世紀アラブ文学の最高傑作とも言われるのも頷ける、脱植民地化したスーダンが抱く西洋文化に対する歪んだ愛と憎しみを描いた中編。なんだこの作品は…!今までのどのアフリカ・アラブ文学とも一線を画していて、一気に読み終えてしまった。七年の渡英生活を終え、鼻高々に生まれ故郷の村に戻った主人公。しかしそこには見慣れぬ顔の男が。彼も同様に長年の渡欧生活を終えた者だった。口数の少ない男から共有された秘密。自らの異国性を利用し、数々の白人女性の心を捕らえた過去。最も愛した女に最も憎まれ、終いにはー。

成程、スーダンから見れば西ではなく北が欧州・宗主国・新風と同義な訳か…。本作はコンラッドの『闇の奥』への反歌ではないかとの意見もあるけど、確かに対になっているかも。アフリカのジャングルに魅せられ心捕らわれたクルツと、逆に英国の女性達を蛇のように狩るムスタファと。両作同時並行で読み返したい!目を瞑れば思い出す美しいエンディングも含めて、最初から最後まで綻び一切ない名作だった。独立という変化の大波が襲った1960年代のアフリカ文学がほんと大好きなんだけど、本作とこの記事でも紹介しているケニアのグギ・ワ・ジオンゴの『血の花びら』は突出してるなぁ。アフリカ文学ORアラブ文学興味ある方は是非。固定観念が覆されます。

リビア/「リビアの小さな赤い実」ヒシャーム・マタール

リビアの小さな赤い実

リビアの小さな赤い実

舞台:1970年代後半リビア おすすめ度:★★☆☆☆

リビア革命時。少年スレイマーンは「家」と「国」という二重の檻に入れられた母と共に、父の帰りを待っていた。ただ遅いだけか、それともあいつらに捕らえられたのかー。 言うべき事は言わずに言わない方が良い事ばかり言ってしまう主人公に途轍もなくイライラした。いくら子供でも。だけど、「言うべき事」と「言わざるべき事」を都合良く決めるのは圧政者の方か。その差は砂上の足跡のように短命で、蜃気楼のように頼りない。そして命を落とす者とそうでない者の差も。半独裁国家に住み、盗聴や同僚の突然の投獄などを経験していた当時に読んだがために、どの内容も他人事ではない事ばかりで気が参ってしまった。ただ文体に特徴はなく、どちらかと言うとあまり好みの本ではない。 一点、こういった題材の本で「裏切者」の視点から描いたものは珍しいので、そこは素直に筆者の勇気に敬礼したい。

アルジェリア/「昼が夜に負うもの」ヤスミナ・カドラ

昼が夜に負うもの (ハヤカワepiブック・プラネット)

昼が夜に負うもの (ハヤカワepiブック・プラネット)

舞台:1930から2000年代アルジェリア おすすめ度:★★★★☆

元アルジェリア軍人の作家による長編。フランス統治下のアルジェリア。貧困、格差、差別、不幸の底の底。夢に潰された先住の人々を包む無情な現実を、幼い少年の目が捉え、ありのままを飲み込み成長する。やがて青年となった彼は裕福な家庭に引き取られたアラブ人として、他よりはまだ幸運と呼ばれる境遇にあったものの、逆にどちらの側からも疎まれ、友も愛も指の隙間から滑り落ち。そして全てを独立運動の戦火が焼き尽くす。傍観という手段で狂気を免れた彼に敬意を服すのか、果たして傍観こそが狂気の表れだったのか。随所に印象的なシーンが散りばめられており、ページを繰る手が止まらない。特に、唯一主人公が静かに怒り、瞳に生命が宿ったぶどう農園主との問答のシーンが良かった。なぜ独立戦争が起こるべくして起きたのか、人間の尊厳と幸福とは何か。貧困から脱しようとする父の姿に胸が裂かれる序盤、大切な絆を結び成長する青年に安堵するも動乱がそれを許さない中盤、時という治癒者の偉大さを知る終盤。ヒューマンドラマの粋が詰まった名作です。

ちなみにあのカミュの『ペスト』と同じ舞台で、本作中にも名前が登場します。

モロッコ/「砂の子ども」ターハル・ベン=ジェルーン

砂の子ども

砂の子ども

舞台:1960年代モロッコ おすすめ度:★★★☆☆

モロッコ市街の広場で小さな観客を相手にしながら、まるで『千夜一夜物語』のシェヘラザードのように、講釈師はとある男の物語を紡ぐ。七人続いた娘についに心を壊した父親は、八人目の娘を男として育てる事を決意する。胸に巻いたサラシと同様、心の自由も縛られた「彼」は、男と女の狭間で揺れながら、過酷な運命を甘んじて受け入れるのだった。話のピークで講釈師が消え、観客だった者達が物語の語り手になり、そこに現れた旅人が話の接ぎ穂をさらい…、とアラブの口承の伝統を取り入れた、誠に美しい一冊。未だイスラム圏に存在する女性蔑視の風潮も、信じられないけどまさしく自分が中近東在住時に触れたもので、感慨深かった。もし主人公が普通に育てられていたら、母や姉達のようになっていたのだろうか。モロッコの旧市街に一歩足を踏み入れ、扉をくぐり続けながら、迷宮に敢えて囚われたくなる事必至。

セネガル/「かくも長き手紙」マリアマ・バー

かくも長き手紙 (1981年)

かくも長き手紙 (1981年)

舞台:1970から80年代セネガル おすすめ度:★★★☆☆

女性の地位向上を訴え、多くのアフリカ人女性の希望の星となったセネガルの作家による約90ページの短編。とある中年女性が長年の友に宛てた手紙の体を取る本作は、夫の死を娘の齢程もある第二夫人と悼むシーンから始まり、女性が忍び耐えなければいけない数々の苦難を浮き彫りにする。一夫多妻制を許容するイスラムの教えに甘んじ、夫の不貞を許さなければいけない女性。学問を否定される女性。自らの幸せを望むと後ろ指を刺される女性。そんな女性達を糾弾するのも、そして救済するのも、また同時に女性である点が印象深かった。しかし最後に自らの運命を選び取らなければいけないのは、結局は自分だ。短いながらも愛憎と悲喜交々の、強く太い一冊だった。葬儀や夏の別荘地での思い出を丁寧に描いたシーンも美しく印象的。

シエラレオネ/「戦場からい生きのびて ぼくは少年兵士だった」イシメール・ベア

戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった (河出文庫)

戦場から生きのびて ぼくは少年兵士だった (河出文庫)

舞台:1990年代内戦時のシエラレオネ おすすめ度:★★★☆☆

90年代に起きたシエラレオネ内戦の際、政府軍の少年兵として青春の大半を過ごした作者の自伝。反政府軍の焼き討ちを度々経験し、その過程で大切な家族と友人を一人一人失っていく主人公。作者は最終的にはニューヨークに逃げ延び、この本を出版できるまでに社会復帰できたが、恵まれた方なのだろう。それに心が完全に癒されたとは言えない。何度も死線を掻い潜るも、その度に魂の一部が死んでいくのではないかと仲間がこぼした言葉が印象的。人間の残忍性・非道性を痛感するが、この本に記載されていない惨状ももっと沢山あっただろう。誰が武器を与えているのか?誰がこれらの戦いから利益を享受していたのか?ぶつけようのない怒りが湧いてくる一作。

コートジボワール/「野獣の投票を待ちながら」アマドゥ・クルマ

Waiting For The Wild Beasts To Vote (English Edition)

Waiting For The Wild Beasts To Vote (English Edition)

舞台:1930から90年代西アフリカ おすすめ度:★★☆☆☆

本邦未訳。アフリカ西国の独裁者の復権のため、語り部が六夜かけ彼の生立ち、躍進と失墜までを唄う。主人公のモデルはトーゴの独裁者だったニャシンベ・エヤデマ。呪力で不死身の肉体を得たと言われ、数々の暗殺計画を免れた人物。本作ではその他にもワニ・ハイエナ・ヒョウ等を守護神とした、実在の独裁者をモデルにした傑物が出てくる。富は全て近親者にのみ配し、少しでも叛逆の意を示した者共は下肢を切除し口に咥えさせながら抹殺し、自らを讃える祭りを多く開催すべし、との彼らのアドバイスに人間の底無しの業の深さを見る。アフリカに数多くあった独裁国家への痛烈な批判とも取れるが、それ以上に、自らの利権を守るためであればどんな独裁者達の悪行にも目を瞑り、賞賛さえする西欧諸国の傲慢と、利用価値がなくなった瞬間に各国を見捨てる冷酷さを暴いている。果たして獣は誰か。後半が冗長だった部分を除けば、興味深く読めた。独裁国家を取り巻く蛮行は、本記事で紹介しているコンゴ共和国の『一つ半の生命』でも描かれているので、興味を持った方は和訳があるそちらを読んでみてもいいかもしれない。

ナイジェリア/「やし酒飲み」エイモス・チュツオーラ

やし酒飲み (岩波文庫)

やし酒飲み (岩波文庫)

舞台:19世紀ヨルバランド おすすめ度:★★★☆☆

専任のやし酒造りが死んでしまったため彼を呼び戻そうと、重い腰を上げ「死者の町」を目指すやし酒飲みの主人公。彼が道中出会う存在に人間は殆どおらず、代わりに遭遇するは死者に死神、精霊にまぼろし、極め付けには妖怪めいた奇怪な生物…まさしく百鬼夜行、この世ならざる者達のオンパレード。そしてただの大酒喰らいのニートかと思いきや、いつの間にか「この世のことはなんでもできる神々の<父>」として呪術を操り、娶った妻と共に様々な危機を脱し、ついには目的の町に辿り着いた主人公だったが…と書けばシンプルだが、なんでもできる割には何度も死にそうになったり、呪術ではなく銃や武器に頼っていたりしていて、初読時は内容があまりにぶっ飛び過ぎて全く理解が追いつかなかった。ヨルバの民話を元にしているらしいが、日本でいう「置行堀」のようなエピソードもあるし、災害や暗闇などの理屈ではどうにもならない恐怖に対する教訓を、妖怪伝承という形で伝えていったのだろうか。とにかく何だか分からないものは近寄らないが吉!それでも向こうから寄ってきてしまったら、知恵と運で切り抜けるしかない。

コンゴ共和国/「一つ半の生命」ソニー・ラブ=タンシ

一つ半の生命

一つ半の生命

舞台:1950から60年代の独立後の架空のアフリカ新興国 おすすめ度:★★★☆☆

アフリカの独裁者と?虐殺と?ゾンビ???と謎のあらすじに加えてコンゴの作家と来たら読まずにはいられない、と思い原文のフランス語版と英語訳版を両方購入してしまった。舞台はポストコロニアル時代の架空のアフリカの国、カタマラナジー。そこでは独裁者が実権を握っており、彼が早々に政敵の肉をナイフで削ぎ、貪り食う惨殺シーンで始まる(初っ端からフルスロットルでやべえぇぇぇ)。家族共々殺されるも、唯一生き残った娘のシャイダナは、その美しい肢体に亡き父の魂まで抱え、独裁者への復讐を誓う。ただ死んだといっても父親は何度も復活してはそこら辺をフラフラして挙げ句の果てには娘を孕ませるし、独裁者は独裁者で機関銃をそこら中でぶっ放しては国民を惨殺するし、いつの間にか登場人物達が死んではまた新しい独裁者と反逆者にすげ替わっていて、終わらない地獄に頭が茹だってしまいそうになった。

荒唐無稽に思えるシーンの数々は、歴史的な事実であるものも多く。独立後のアフリカ諸国を襲った独裁政権の病を痛烈に批判している。「一つ半の生命」とは何だろう?故人の思想は死と共に生者の身体に引き継がれ、やがて花開くという事だろうか?この寓話は読者に希望をもたらすものなのだろうか?作者が口から発される言葉ではなく書き留められた言葉の力を信じていたのは確かに思う。しばらく時間を置いて色々と冷静に考えてみたいと思った。

ちなみにヴォネガットの『スローターハウス5』や『猫のゆりかご』が好きな人はかなり楽しめると思う。

ブルンジ/「ちいさな国で」ガエル・ファイユ

ちいさな国で (ハヤカワepi文庫)

ちいさな国で (ハヤカワepi文庫)

舞台:1992から94年ブジュンブラ おすすめ度:★★★☆☆

アフリカ諸国の一つにしては小さな国ブルンジ。この本を読むまでどこにあるか正直知らなかった。しかも、あのルワンダ大虐殺と時を共にして、同じようにフツ族とツチ族との紛争により30万人の死者が出たことも。ルワンダ難民の母とフランス人の父との間に生まれた筆者の実体験を元にした小説なのだけれども、その目を瞑りたくなる程の内容はさておき(があるからこそ?)是非主人公と同じく小学生〜中学生に読んでもらいたいと思った。「こちら側」と「あちら側」、「敵」と「味方」の境界線がいつ形成されるのか、主人公の問いかけに考えさせられる。「背が低い」「鼻が潰れている」といったステレオタイプで相手を捉えるようになった時点で圧倒的な壁はでき上がってしまっている気がするが、逆にそういった固定観念を抱かないようにするにはどういった条件が必要なのか…教訓を引き出す必要はないので、是非子供達から意見を聞きたいと思った。それにしてもブルンジのように、たわわに実るマンゴーに、日向ぼっこをするワニとハチドリがいる…そんな極彩色の動植物に恵まれた天国のような地であっても、血塗れの地獄に急変し得るのは、ある意味で絶望的でしかないな…。人間はいつになったら変わるのだろう。それもどう思うか聞いてみたい。

ウガンダ/「ラウィノの歌/オチョルの歌」オコト・ビテック

ラウィノの歌/オチョルの歌

ラウィノの歌/オチョルの歌

舞台:1960年代アチョリ地方 おすすめ度:★★★★☆

アフリカ文学でも絶対にこれは読めと言われる名作。1960年代、植民地から独立国家へと激変するウガンダ情勢の中書かれた長詩。国の自由を夢見るも、皮肉にも白人の文化にかしずき、アチョリ族の伝統と誇りを打ち捨てようとする夫オチョルへの反歌として、妻ラウィノが「黒い私達」の日常の美を訴える。夫に「遅れている」「虫けらも同然」と、恐らく自分も白人に言われたであろう言葉で罵られても、毅然としてアチョリの貴さを歌うラウィノの強さと健気さに胸を打たれた。最後、それでも褪せない夫への愛を誓う節では感極まって泣きそうに。アチョリへの賛美歌かと思ったら、夫へのラブレターじゃないか、と彼女の叶わぬ恋に苦しくなる事必至。変わる事によって齎される弊害と痛みについて考えさせられる、とにかく素晴らしい作品だった。なぜ変わらなければいけないのか、なぜこのままではいけないのか。とは言っても、変化の波は否応なく訪れるんだよな…。そんな時に、本作のようにせめて美歌として形を留め残すだけでも意味があるのかもしれない。

ケニア/「血の花びら」グギ・ワ・ジオンゴ

Petals of Blood

Petals of Blood

舞台:1960から70年代ケニア おすすめ度:★★★★☆

初めて読んだアフリカ文学という思い出深い一冊。反体制的として筆者の逮捕に繋がった政治文学と言われるだけあって、非常に政治色が強いが、これが当時のケニアの若者を苛んだ、ことごとく「事実」の描写なんだろうと感じる。ある田舎村に来た新参者三人ー教師・雑貨屋の主・バーメイドーが、腐敗と汚職・搾取・貧困・宗教観・伝統と親族に向き合いながら、圧倒的な「力」に対し、ある者は神に救いを求め、ある者は諦観し迎合し、またある者は自分なりの形で抵抗する。それぞれの人間が出した答えに正解はあるのか。ケニアの生活がより身近に感じられるようになった気がする。残念ながら本作の邦訳はまだないようですが、他名作と名高い『泣くな、わが子よ』や『川をはさみて』ならまだ手に入りそうなので、試しに読んでみては。

ソマリア/「地図」ヌルディン・ファラー

Maps: A Novel (Blood in the Sun) (English Edition)

Maps: A Novel (Blood in the Sun) (English Edition)

舞台:1977年オガデン戦争中オガデン おすすめ度:★★★☆☆

嘘だろおおお ノーベル文学賞に最も近い人物の一人に挙げられ、欧米ではかなり著名な作家なのに邦訳未訳の作品ばかり…。この一冊もそうなのですが、せっかくなので紹介します。

1977年のソマリア・エチオピア間で発生したオガデン戦争を背景に、孤児の少年が仮の母に育てられる。血肉を分けた関係をも超えた二人だったが、時代が彼らを引き裂き…。紛争の激化とともに、「エチオピア人の血が流れる余所者」「ソマリアの裏切り者」と罵られ、あらぬ嫌疑をかけられる「母」に心が痛んだ。たかが紙面の上でしか活きない国や国境という概念のために、なぜ無実の人々が苦しまなければいけないのか。しかし白紙だった少年の世界にも、次第に故郷の村や隣国との境などが書き込まれていってしまう。国って何だ、国境って何だ、ここまで曖昧で儚いものに、何をそこまで信奉できるものがあるのだろう。こういった作品を読めば読む程、そんな幻想で人を呪い殺める国粋主義がどんどん嫌いになっていく。

アンゴラ/「マヨンベ」ペペテラ

マヨンベ (緑地社アフリカ叢書)

マヨンベ (緑地社アフリカ叢書)

  • 作者:ペペテラ,Pepetela
  • 出版社/メーカー: 緑地社
  • 発売日: 1995/03/01
  • メディア: 単行本

舞台:1971年カビンダ おすすめ度:★★★☆☆

ポルトガルの植民地支配から脱却するために組織されたMPLA(アンゴラ解放人民運動)の一員だった筆者によるゲリラ小説。元々政治コミュニケとして実際の戦闘をベースに書かれたものだったために長らく出版されなかったが、執筆から約10年後に出版されアンゴラ文学賞を受賞。舞台はアンゴラの密林、「マヨンベ」。司令官であるセン・メドを筆頭に、彼の右腕であるコミサリオ他メンバーがポルトガル人の「トゥガ」共との抗戦の日々を送る。しかし独立の志を同じくする仲間も一枚岩ではない。様々な部族、社会的立場の人間が任務に当たるがために、確執の火種はそこかしこにあり…。メンバー一人一人の独白を挟む構成が憎い。それぞれが活動に参加した動機も違えば、仲間への評価も全く違う。同じ人物であっても見る者が違えば片や英雄、片や裏切り者となり。個人的心情ではなく、社会的信条で闘う事の難しさを痛感した。そしてセン・メドの、三十代とは思えない程に達観したアドバイスに唸る(数が多いので鼻白む事もあるかもしれないが)。独立運動の「かくあるべき」を体現したかのような小説、是非本ブログ記事でも紹介している、ニカラグアのゲリラ活動の泥沼の日々を描いた『山は果てしなき緑の草原ではなく』とも読み比べてみて欲しい。

ボツワナ/「隠された悲鳴」ユニティ・ダウ

隠された悲鳴

隠された悲鳴

舞台:1994から1999年ボツワナ おすすめ度:★★★☆☆

ボツワナを始めとしたアフリカ各国で今尚発生している「儀礼殺人」(富や地位をもたらすと信じられている儀式に必要な人体の一部を得る目的で犯される殺人)を題材としたサスペンス小説。アフリカ発のサスペンス?!儀礼殺人?!しかも現職の女性外務大臣が執筆、っておいおいおい情報量多過ぎるだろ!と興奮しながら手に取った一冊。そもそも儀礼殺人や呪術は一般的な日本人からして見ればだいぶ縁遠い話だが(かつてアフリカで働いていた援助業界の同僚曰く呪殺/毒殺は割と日常茶飯だったらしいけども)、権力者の欲の犠牲となる平民の姿は普遍そのもの。巨大な悪に闘いを挑む主人公、終始どちらが勝つかハラハラ、サスペンスとしてしっかりと成功している作品だった。ラストでは「うわあああああ」と叫ぶ事必至。また、複数の女性キャラが力強く描かれているのも良い。結局、権力者VS一般市民の対立が生じる時、男VS女の構図も生まれるのが現代社会では必然なんだろう。

呪術を畏れの対象としてはいない我々だけれども、警察を、政府を、権力を、心から信じられる国に果たして住んでいるだろうか。我々の社会もやはり、欺瞞で満ちているのではないか。足下が一瞬揺らぐような作品だった。

ジンバブエ/「イースタリーのエレジー」ペティナ・ガッパ

イースタリーのエレジー (新潮クレスト・ブックス)

イースタリーのエレジー (新潮クレスト・ブックス)

舞台:現代のハラレ おすすめ度:★★★☆☆

ザンビアで生まれ、ジンバブエの大学を卒業後にオーストリアやイギリスに留学、ジュネーブの国際機関で働いていた事もある作家の処女作。独立運動後、長らく続く独裁政権により汚職が蔓延、紙幣は紙屑も同然のハイパーインフレが常態化。そんなジンバブエでの人々の営みを、13作の短編を通して諦念と笑いを交えながら描く。「ひび割れたピンク色の唇」が症状として表れる「あの病気」や、当たり前に握らされる袖の下など日本では見慣れない光景もあるものの、気付かされるのは人間の圧倒的な普遍性。持つ者持たざる者がそれぞれ抱える嫉妬も愛慕の情も、読者の誰もが一度は感じた事があるものばかり。愚かな兄弟と欲深い親族との血の繋がりに頭を抱える「ロンドンみやげ」と、単なる主従関係をも超越した、愛憎混じった腐れ縁が微笑ましい「ジュリアーナ叔母さんのインド人」が好きだった。幸も不幸も飲み込んだ人生という歯車は、世界中で今日も回り続けている。 

南アフリカ/「恥辱」J. M. クッツェー

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

恥辱 (ハヤカワepi文庫)

舞台:1990年代アパルトヘイト後の南アフリカ おすすめ度:★★★☆☆

南アフリカ出身のノーベル文学賞受賞作家、クッツェーによる小説。情欲を抑えきれず、教え子の一人に手を出し、非を認めない強情さから退職に追い込まれた大学教授の主人公。田舎で畑を耕し細々と生活を営む一人娘の下に転がり込むが、ようやく共同生活に馴れてきたと思ったのも束の間、強盗三人に襲われてしまい…。「享受」がテーマかな、と漠然ながら思った作品。徐々に老いていく恥辱、不名誉な退職を余儀なくされ誰もからも蔑まれる恥辱、都会から田舎へ都落ちをせざるを得ない恥辱、娘の恥辱(ネタバレになるのでここはあえて濁します)、アパルトヘイト時代であれば使役していたであろう黒人に庇護される恥辱、こうした数々の恥辱に対し怒りをぶちまけ拳を振り上げるのではなく、一切を受け入れるまでの過程が、最後のシーンで描かれる。死と同様、起きてしまった事は逃げられるものではないから。シンボリズムやテーマが一度では咀嚼しきれない程多く、短いながらも読み応えたっぷりの一冊です。

北米

カナダ/「侍女の物語」マーガレット・アトウッド

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

舞台:2005年の架空の国、ギレアデ共和国(恐らく現マサチューセッツ州) おすすめ度:★★★★☆

カナダを代表する女性作家の、最も有名なディストピア作品。ギレアデ共和国と呼ばれるかつてアメリカだった地は、宗教の名の下に厳しく統率された階級社会へと進化した。そんな街で侍女として暮らすオブフレッド。異常なまでに出生率が低下してしまった世界で、彼女は司令官の子を設けるためだけに家に仕えている。ただ生殖のためだけに生かされ監視される、息苦しく孤独な毎日を送る彼女の唯一の心の拠り所は、記憶に残るかつての夫と子と過ごした時間。そんな彼女の生活にも、少しずつ歪みが生じ始める。ディストピア小説の中でジェンダーの視点が大きく取り入れられるのは女性作者ならではかも。英語で読むと途中まで気づかないけど、侍女の名前の『オブフレッド』や『オブグレン』が、「フレッドの〜」「グレンの〜」と男性の所有物を意味する事が分かった時点でゾゾゾッと悪寒が走った。不妊の原因が男性には一切なく、女性にのみあるとされる本作の「常識」は、現代の日本でもどこかで聞いた事があるようなないような…。荒唐無稽なはずの話なのに、真実が必ずどこかに潜んでいるディストピア文学の醍醐味を味わえる作品。

アメリカ/「ビラヴド」トニ・モリスン

ビラヴド―トニ・モリスン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

ビラヴド―トニ・モリスン・セレクション (ハヤカワepi文庫)

舞台:1860年代南北戦争後アメリカ おすすめ度:★★★★★

もう!なんで!日本ではこんなに知名度が低いのか!ただひたすら名著、名著、名著なんです。筆者はアメリカのオハイオ州出身。人種差別問題を黒人女性の視点から描き、ノーベル文学賞やピューリッツァー賞など数多くの賞を受賞しています。本作も2006年にはアメリカの全国紙「ニューヨーク・タイムズ」により、「過去25年間で最も偉大な小説」に選出されています。 ただ、ボーッと本を読みたい時にはオススメしない事も事実。何万人もの苦痛、恥辱、絶望、そして命の重さが込もっているから。登場人物達が一度見たものは一生記憶から消せなかったように、読者にとっても、一度読んだこの本の内容は一生記憶から消せないはず。ホロコーストを描いたエリ・ヴィーゼルの『』と同様に、死ぬまで忘れない本になると思います。

南北戦争後のアメリカ。奴隷制度から解放されたはずなのに、過去の呪縛に未だ囚われたままでいる元奴隷達の生き様を描いた本作。主人公は、白人に捕らわれるぐらいなら、と自らの子を殺めた女性。殺しそびれたもう一人の娘と誰の手も借りずに孤独に生きていたある日、謎の女性が彼女の下を訪れる。

衝撃なのは、主人公が実在の人物に基づいている事。自分の子を殺してでも逃したかった現実は一体地獄以外の何だったのだろう。彼女と同じ農園で生活を共にした者達は様々な直接的暴力と迂遠的差別の末に、処刑された者、狂った者、消息を絶った者、過去を消した者、色のない世界で生涯を終えた者しか残らなかった。 容赦のない情景と人物描写のみならず、構成も秀逸な小説。登場人物の混濁した意識を描いたかのように、実際に起きている事と記憶の断片をどちらも掻き寄せた形で話が進みます。そのため、最初は見過ごしていた描写が後で実は重要な意味を持っていたと気づいて、慌ててページを繰り戻る事もしばしば。また、描写自体が直接的ではなく、帳が掛かっているかのような比喩的表現で語られる事もままあるので、キャラクターの脳内にしっかり入り込まないと理解できないようになっています。そしてそうした途端、彼らの感情の全てが肩に重くのしかかる…。高校生の必須図書にして欲しい程疑いようのない名作。人々の涙を吸い尽くしたかのようにずっしりと重い本を読む勇気のある方は、是非。絶対に損はしないと思います。

中南米

メキシコ/「ペドロ・パラモ」フアン・ルルフォ

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

舞台:20世紀初頭のコマラ おすすめ度:★★★☆☆

数多くの作者に影響を与えた、ラテンアメリカ文学で最重要と位置付けても良い作品。母の最期の言葉通り、父親ペドロ・パラモを探しにコマラという街に辿り着いた主人公。しかしなんとそこは、死者の霊が未だ多く彷徨うゴーストタウンと化していた。徐々に朧げになっていく生と死、過去と現在の境界線。そんな世界で主人公はついにー。 登場人物が多く、エピソードも語り手がしょっちゅう入れ替わり、時系列もめちゃくちゃなので、メモなしではなかなか読み進められない。蜘蛛の巣のような人物の相関図の中心に鎮座するは、題名にもなっている「ペドロ・パラモ」。この世界の唯一神として彼が求めたものは、結局皮肉にも誰もが求める愛だった。 個人的にどう判じたら良いか分からない作品だったけど、大好きなガルシア=マルケスの『百年の孤独』や『予告された殺人の記録』がこの一冊から生まれたのがよく分かっただけでも、読んで良かったと思う。短くも充実した時間を与えてくれる、重厚な一作。

グアテマラ/「ポーランドのボクサー」エドゥアルド・ハルフォン

ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)

ポーランドのボクサー (エクス・リブリス)

舞台:現代グアテマラシティ、ベオグラード、エルサレムなど おすすめ度:★★★☆☆

ポーランドに生まれアウシュビッツ収容所を生き延びたユダヤ人の祖父と、レバノン・シリア・エジプトをルーツに持つアラブ系の祖父母を持ち、グアテマラのユダヤ家庭で生まれ育った作家による短編集(息切れ)。その複雑なルーツからか、主人公がいつも何か探しているような、場所に何かを求めているような印象を受ける作品が多い。まるで、新しい場所に身を置く事で自身の像がより色濃く浮かび上がると信じているように。そのような「ノマド」に境界なんてものは似つかわしくなく、壁はむしろ害悪である。そして音楽はあらゆる界線を超越するからこそ美しい。自分もアイデンティティに悩まされ移住を繰り返した事がある、というか現在進行形でしているので、物語の登場人物達の気持ちが痛いくらいに分かる。自分の先祖から逃れようとする者達と、自分の先祖に恋焦がれる者達の放浪の軌跡。最初の「彼方の」最後の「修道院」が特に好き。

エルサルバドル/「無分別」オラシオ・カステジャーノス・モヤ

無分別 (エクス・リブリス)

無分別 (エクス・リブリス)

舞台:1990年代グアテマラ おすすめ度:★★★☆☆

軍部により組織的に行われた先住民の大虐殺ーその生き残りの証言を集めた報告書は、1000ページにも及ぶ拷問と殺戮と死体の山の記録でもあった。その校閲を任ぜられた主人公は、次第に生命が脅かされているという強迫観念に囚われるようになり…。

実際に民族大虐殺が発生したグアテマラ内戦をベースにした小説。言葉の力、文の力を物語る一冊だった。詩的とも言える生存者達の残した言葉を起点に、「無分別な考え」が拡がり、脳を犯す。そして「想像力はさかりのついた雌犬」として頭の中を駆け巡り、「妄想症」に陥った主人公は、過剰とも言える反応を見せる。しかしあのエンディングをまざまざと見せつけられた後では、彼の行動が決して異常だったとは思えない。歴史的にラテンアメリカで行われたCIAの工作の数々を思えば尚の事。「おれの精神は正常ではない」と、ある生存者は言うが、実際は誰が「正常」だったのだろう?虐殺を命じる政府高官、赤子を壁に叩き付ける軍人、それを目撃する者、その証言を子細に書き取る者、そしてその文を校閲する者…。あの時代のあの場所では、誰も分別など持ち得なかったのでは。

ニカラグア/「山は果てしなき緑の草原ではなく」オマル・カベサス

山は果てしなき緑の草原ではなく (ラテンアメリカ文学選集 12)

山は果てしなき緑の草原ではなく (ラテンアメリカ文学選集 12)

  • 作者:オマル カベサス
  • 出版社/メーカー: 現代企画室
  • 発売日: 1994/07
  • メディア: 単行本

舞台:1960から70年代ニカラグア おすすめ度:★★★☆☆

ニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線に加わり、ゲリラとして革命に身を投じた筆者の体験記。ゲリラ、なんだかかっこいい…といった安直かつ愚かな幻想をぶち壊してくれる生々しい一冊。大学生の主人公が掲げるイデオロギーとは裏腹に、現実はひたすら曖昧模糊で泥臭い。飛び散る火花、連射される弾丸、放たれる捨て台詞…映画のヒロイズム溢れる描写なんてものは一切なく。あるのは飢えで霞む視界、歯間に溜まった垢の舌触り、蟲に喰われた脚の痛み、全てを包み込む孤独。そして害獣のように一匹、また一匹と追い詰められ殺される仲間を送る間もなく、前へ前へと進む主人公らの元に残るものは、ただ去りし日の思い出と未来への希望だけとなる。時折軽口を交えながら書かれていたのと、彼らの努力が無駄ではなかった事を知っているのでなんとか読み終えられるが、なかなかに辛い。死んだ仲間との会話を思い出しながら呟いた「俺は彼の娘のズボンのサイズまで覚えているよ、三二だ」には胸が詰まってしまった。その他書き留めようと思った文も多い。ゲリラの理想を描いたアンゴラの『マヨンベ』と比較すると尚面白いので、是非読み比べてみて欲しい。

コロンビア/「エレンディラ」「百年の孤独」ガブリエル・ガルシア=マルケス

エレンディラ (ちくま文庫)

エレンディラ (ちくま文庫)

舞台:不詳 おすすめ度:★★★★☆

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

舞台:19から20世紀アラカタカと思われる架空の街 おすすめ度:★★★★★

このブログ記事を上から順に、ここまでお読みになった方はもうお気付きかもしれませんが、ガブリエル!ガルシア!マルケスが!好きだ!!!なぜかって?人生で一番最初に読んだ海外文学で、これがきっかけで世界が広がったからだよ!コロンビアは彼を推そうと早々に決めていました。単なる思い出補正だけではなく、彼の幻想と現実入り混じった作品の面白さは唯一無二だと思うものの、いざ勧めるとしたらどれにするかかなり迷い…。『エレンディラ』『百年の孤独』『コレラの時代の愛』『落葉』『大佐に手紙は来ない』『予告された殺人の記録』の既読作品の中からやっとの思いで二作に絞りました…。ただ、どうしても一作に絞れない…という事で、せっかくなのでどちらも紹介します。できれば両方読んで欲しい、そしてどちらから読んでも絶対損はないはず。

エレンディラ』は七編から成る中短編集。心淋しい海辺や、風だけが共となる砂漠を舞台に、不可思議な現象が蟹の大群のように押し寄せては、ふとした瞬間に引いていく。みすぼらしく年老いた天使に、あまりの美しさに見た者全てが一掬の涙を手向ける水死体。海底で静かに漂う忘れ去られた者達に、あらゆる不思議を繰り出す奇跡の行商人。まるで彼らが登場するお伽話を語り聞かされているかのよう。不思議な懐かしさに襲われ「好き!」と叫ばずにはいられない。長編はちょっと…という方にうってつけの作品。

百年の孤独』は、マコンドという村と一蓮托生の宿命にあったブエンディア一族の盛衰の物語。そもそも人の一生を追った作品が弱点なのに、一族の物語となっては命が何個あっても足りない…。圧倒的なバイタリティで村を興した初代ブエンディアは、年と共に耄碌し、木に縛り付けられるまでになり。美しかったあの娘も他人を呪い、逞しかった彼も引き篭もり。それでも子は生まれ、親は死に、ブエンディアの血は連綿と続く…と思いきや。愛と孤独、争いと平和、生と死、繁栄と衰退、笑いと涙、様々な対比が見られる強烈な作品。同じ名前の登場人物ばかりで時系列も前後する事があるので最初は読み進めるのに骨が折れるが、とにかく荒唐無稽な出来事とクレイジーな人物達のパワーに引き摺られ続け、気付けばささやかな寂寥感と共に読了している事必至。そして残るは町中に降る積もる黄色い小花の情景と、少女が白いシーツと共に天に昇っていくイメージと、目に焼き付いて離れない鮮烈なラスト。私の様に忘れられない読書の原体験を得たい方は是非。

ベネズエラ/「ドニャ・バルバラ」ロムロ・ガジェゴス

ドニャ・バルバラ (ロス・クラシコス)

ドニャ・バルバラ (ロス・クラシコス)

舞台:1920年代中央ベネズエラ おすすめ度:★★★☆☆

こ、これは、どこかで既視感があると思っていたらそうだあれだ、少年漫画じゃないか!しかもちょっと前の王道もの!ルックスも頭脳も血筋も文句なしの主人公、母親に連れられ長年離れていた生まれ故郷の牧場地が、今や悪の手に堕ちつつあると知るや否や、気概と法知識だけを携え単身舞い戻る。そこで出会った忠実な家臣らと美しい少女と共に、野蛮の化身である悪女ドニャ・バルバラと闘うがー。文明の象徴であり法の施政者である主人公が、無法地帯の「ジャノ」の地に柵を打ち立て、野生の牛に焼印を入れ、バルバラの娘を手なずける様子は、ベタと言えばベタだが、読んでいるとなんとも言えない多幸感で満たしてくれるものでもあり。「広く果てしない大地では、努力すれば報われ、希望を持てば地平線が広がり、意志のあるところに道ができる」、そんな力強い言葉を自信を持って掛けてくれる作品を久々に読んだ気がした。

ブラジル/「G・Hの受難」クラリッセ・リスペクトール

G・Hの受難 家族の絆 (ラテンアメリカの文学 (12))

G・Hの受難 家族の絆 (ラテンアメリカの文学 (12))

  • 作者:リスペクトール
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1984/03
  • メディア: 単行本

舞台:リオ・デ・ジャネイロ おすすめ度:★★★★☆

「あなたは誰ですか?」与えられた名前、重ねた年月、生まれ落ちた身体の型の紹介の後に続くものは何だろう。住んでいる場所と日々行なっている行動を挙げるだろうか。◯◯と△△の子、友、仲間と続柄を挙げるだろうか。結局は自分を取り囲む「境遇」と「状態」の積み重ね。そういったものを彫刻家のように全て削り取った後に残る「自分」という像は何だろう。そしてその「自分」と「神」との関係性は?収集し分類する事で解るのではなく、失う事で初めて見えてくるもの。そういった言葉にできない物事を、主人公の意識の流れを介して言葉に置き換える試みである「G・Hの受難」、数時間をかけて一気に二回読んでしまう程に衝撃的だった…。真っ二つに切断されたゴキブリの姿から世界の真実に辿り着き、その境地として切断面から滲み出た汁を口に含む主人公…こうやって文にすると狂気でしかないし、作者の意図を半分も汲めたとは思えないが、彼女が真理の扉を開き、向こう側に至るまでの酷く心細い旅路に同伴できた事をありがたく思う。

ペルー/「都会と犬ども」マリオ・バルガス=リョサ

都会と犬ども

都会と犬ども

舞台:1940年代リマ おすすめ度:★★★★★

ノーベル文学賞作家の長編。分厚さにビクビクしていたが、読み易す過ぎてびっくり。というより、貪るように読んでしまった。リマに位置する実在の全寮制レオンシオ・プラド士官学校に通う、いや、収容されている13~16歳の思春期真っ只中の青少年達。彼らは、白人・黒人・混血児、山岳部の田舎者から都会の御曹司まで、様々なバックグラウンドを持つ。ありもしない戦争に備えるよう教育を行う学校はそもそも根底から存在意義が希薄で、無為な毎日を紛らわすかのように生徒達は酒・煙草・賭博に溺れる。そんな血気盛んな彼らを縛るものは厳しい規律、ではなく、圧倒的な主従関係。生き残る術は「ジャガー」のような絶対的な暴力を持ってして相手を鎮めるか、「詩人」のような狡猾さを発揮するしかない。いずれも持たない「奴隷」は、彼のあだ名の如く物以下の扱いを受ける。第1部の凄惨な「男気の洗礼」は私には到底理解できないが、ある意味「大人の男」の幻想に惑わされる彼らはまだまだ子供に見える。それを強調するかのように、要所要所で彼らの幼少期のエピソードが、一人称で挟まれる。そこで描かれる彼らは親に怯え、健やかに友情を育み、淡い恋に胸を躍らす、どこにでもいる子供達。士官学校での彼らの姿とは似ても似つかない。実際、あるエピソードは意外な人物のもので、小説の最後までその正体はわからない。途中ネタバレを読んでしまったのが本当に残念。この構成には唸らされた。別の方の書評を読んだのだが、第2部以降は特に三人の人物にフォーカスが当たっており、それぞれが信じる「正義」に則って行動する。ジャガーの「信頼」、ガンボア少尉の「規律」、詩人の「倫理」。「正義」に則って自分も行動したいと常々思うが、この小説のように正義の種類それぞれが相反するケースも多々あるし、その際にどう行動するか、非常に考えさせられる。それでもやっぱり私は詩人の「倫理」が勝る世界で生きたい。誰しもが経験する学校という狭い世界をベースにした話だからか、いつの時代に読んでも共感できる不朽の名作だと思う。

ボリビア/「チューリングの妄想」エドゥムンド・パス・ソルダン

チューリングの妄想

チューリングの妄想

舞台:2000年代コチャバンバと思われる架空の都市 おすすめ度:★★☆☆☆

ボリビアのテクノスリラー、と言う耳慣れないキャッチコピーが気になり気になり手に取った瞬間から一気に読了。凄腕の暗号解読士として「チューリング」の二つ名を持つ「お前」は、アナログの暗号通信からネット回線を使ったコミュニケーションへと時代が変遷するにつれ、機密組織ブラック・チェンバーでのかつての地位を追われ、過去の遺物を整理する閑職に追いやられていた。そこで同時期に発生する反民営化・反グローバリゼーションを謳う<抵抗運動>のサイバーテロと<連合>のデモ。チューリング、そして彼を取り巻く人々の72時間は。マジックリアリズムや軍事的暴力で捉えられがちなラテンアメリカ文学とは一線を画す雰囲気。トラディショナルな街頭行進や投石によるデモ行為と対照的な現代的サイバーテロ運動だが、結局現状の政権への異を唱えるだけで代替案を用意できていない点では同じ、という誰かの言葉に耳が痛くなった。暗号を生成する側、そして解読する側…と繰り返し転生し続けた電気蟻の存在の無為さと通ずる点があるのでは…。目的のための手段に過ぎない「行為」に人生を捧げてしまった男達の嘆きのエレジーにも思えた。

チリ/「野生の探偵たち」ロベルト・ボラーニョ

野生の探偵たち〈上〉 (エクス・リブリス)

野生の探偵たち〈上〉 (エクス・リブリス)

舞台:1975から96年、世界中 おすすめ度:★★★★★

こちらも気鋭のラテン文学作家の超大作。あー、ああ、あああ…。ついに読み終わってしまった…、と読了時はただひたすら虚脱感に襲われ、魂と言葉が旅に出てしまい、その後も暫く戻ってこなかった。

三部に分かれた本作の第一部と三部は、「はらわたリアリスト」と名乗る若手前衛詩人の二人に憧れる青年の手記の体を取る。若手の二人は消息不明の女流詩人の後を追い、メキシコを起点に世界中を周る事に。第二部ではそんな神出鬼没な彼らの様子を、謎の聞き手が50人以上もの多彩な人々にインタビューを重ね、浮き彫りにする。題名の「探偵」とは、女流詩家を追う二人か、その二人の軌跡を追う謎の聞き手か?舞台も北米からヨーロッパ、中近東からアフリカへと跳ねに跳ね、二人の人物像も語り手によって目紛しく変わり、ついていくのがやっと。ただ、読んでいる中で鮮やかに蘇ったのは、自分の青年時代。あの、地平線までだだっ広く拓けた予想のつかない未来に焦り焦がれた日々を、そして数々の人間が自分の世界に立ち現れては、時には強烈な残像を、時には微かな残り香を、残し去っていった日々を懐かしまずにはいられない。 第3章に入ってからは、この物語が終わってしまうのが受け入れられなくて、何度も、何度も本を置いてしまった。そして読み終わった今は胸を掻き毟りたくなるような焦燥感でいっぱい。あまりの厚みにたじろぐ方もいらっしゃるかもしれませんが、誰しもが持つ万華鏡のような日々を思い出したい方はどうぞ。

アルゼンチン/「悪魔の涎・追い求める男」フリオ・コルタサル

悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 (岩波文庫)

悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 (岩波文庫)

舞台:複数の舞台 おすすめ度:★★★★☆

池澤夏樹の世界文学短篇コレクションで読んだコルタサルの「南部高速道路」が好きで好きで、このブログでは代表作である長編『石蹴り遊び』を読んで紹介しよう、と意気揚々と購入したものの、何度チャレンジしても意味が汲めず挫折。結局原点に戻って自分の好きな短編が収録されている本作を紹介する事にしました。諦めないで他の作品も読んで良かった。『石蹴り遊び』もいずれリベンジしたい。

読書という体験は基本的に登場人物の生活に侵入する行為というか、無断で覗き見をしているようなものなのかも、と一瞬我に帰るような作品が多い印象。気付けば自分の背後に人が居たり、見ていると思っていたら見られていたり…。視点がグルグル回る、エッシャーの絵画に入ったらこんな感覚なんだろうか。「続いている公園」「夜、あおむけにされて」「悪魔の涎」「正午の島」「ジョン・ハウエルの指示」「すべての火は火」辺りがそれに当てはまる。「追い求める男」も信頼足り得るべき現実が足元から崩れていく感覚が共通しているかも。薄々勘付いてはいたけれども、終盤に突きつけられる事実の恐ろしさたらないな。

ただ、「追い求める男」はより登場人物の痛みが感じられて好きだった。何かを切実に欲する人の話にどうしても心揺さぶられる。だから恋人の家の不可侵性に耐えられず、白い子兎を吐き続ける男の末路を描いた「パリにいる若い女性に宛てた手紙」も強烈に印象に残っている。しかし何より「南部高速道路」が一番好き。幾日も続く渋滞に巻き込まれた赤の他人同士が、いつの間にか作り上げていた共同体が、渋滞が解消されるのと同じくらい唐突に、一瞬で解けていく…。はあ…人生だ…。

ウルグアイ/「狂人の船」クリスティーナ・ペリ=ロッシ

狂人の船 (創造するラテンアメリカ)

狂人の船 (創造するラテンアメリカ)

  • 作者: クリスティーナペリ=ロッシ,Cristina Peri Rossi,南映子
  • 出版社/メーカー: 松籟社
  • 発売日: 2018/07/01
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る

舞台:現代の複数の港町 おすすめ度:★★★★☆

最も深く、不穏な海に狂人達だけが乗った船を置き去りにする、そんな昔話から。創世記のあの男女を描いたタペストリーまで。祖国を追われ、各国を放浪し続ける男エックス(X?)が見聞きした物、出会った人々が、大事に大事に陳列されたような一冊。なんだこれメッチャ好き…。旅人を扱った作品にほとほと弱いんだよなぁ…。弾圧を逃れるためにウルグアイを去った筆者の投影であろうエックス。永遠に「異人」「外人」であり続ける彼に、自分を重ねずにはいられなかった。結局誰しもが異人になり得るのに、それを認めたがらないのは何故なのか。彼のぼやきに頷かずにはいられない。また、老女との性行為や小さな男の子との同性愛という、一般的には無為、時には狂人のそれとされる行為が散見されたのも興味深い。究極の愛の証明とは、男性性の放棄である、という作者の強い思いが汲み取れた。

全体的に微睡みの中に揺蕩うような作品で、読んでいるとトロトロとした気持ちの良い眠りに誘われる。そして必ずと言って良い程、夢を見た。顔は朧げで、誰だか分からないけれど、どこか懐かしい人が訪ねてくれる夢。何度も繰り返し見たくなる夢を見るために、ずっと手元に置きたい不思議な一冊だった。

カリブ

キューバ/「夜になるまえに」レイナルド・アレナス

夜になるまえに

夜になるまえに

舞台:1950から80年代キューバ おすすめ度:★★★☆☆

バティスタ政権下に幼少期を送り、革命後、カストロ独裁政権による迫害からアメリカへと亡命し、二度と故郷の地を踏む事はなかったアレナスの自伝。初めての作家でどの作品から読めばいいか分からずツイッターで投票を募った所、本作を薦める方が多かったので手に取った。前半はハバナの街で弾けんばかりの作者の「生」と「性」が、カリブの太陽の如く眩し…眩し過ぎてちょっと目が痛い笑 自称五千人斬りの異名も、さもありなんと頷く程の乱交具合。ただ、同性愛を誰にも咎められない自由な環境で、溢れ出る命の奔流を文学と創作に注ぎ込み、助言を授けてくれる貴重な師と友に恵まれたこの時代が本当に輝かしかっただけに、後半のカストロによる暗黒時代が余計残酷に感じられた。しかし、例え何日も口にする物が無くとも、タイヤと豆の缶詰一つで海を渡る逃走計画が失敗に終わっても、獄中で糞尿に塗れながら死を間近に見ても、ユーモアとプライドだけは決して失わなかった氏だからこそここまで生き延びられたのかもしれない。その二つのいずれかが欠けていた者は、身体的もしくは精神的な死を迎えたのだから。狂った者しか勇気を出す事ができなかった時代、そう思うと氏は確実に狂っていたのだろう。原稿を奪われながら、師や友を奪われながら、故郷を奪われながら、HIVと宣告され自らの命を経つまで、ペンという武器で独裁政権の悪を糾弾し続けた狂人の魂の叫びとも言うべき一作だった。

ちなみに政治とは切っても切れない存在であった中南米の作家が多く言及されているのですが、ガルシア=マルケスがボロックソに言われていたり、ボルヘスが賞賛されていたり、ラテン文学界の舞台裏を垣間見れる点も面白かったです。

ジャマイカ/「七つの殺人に関する簡潔な記録」マーロン・ジェイムズ

七つの殺人に関する簡潔な記録

七つの殺人に関する簡潔な記録

舞台:1970から90年代キングストンとニューヨーク おすすめ度:★★★☆☆

まずはそのA5判2段組720ページの巨体に恐れ慄き、続く「演者」の一覧表で登場人物の多さに本を取り落としそうになり(72人…!)、ビルから突き落とされた死者の独白の生々しさにたじろぎ、スラム街に生きる少年の眼前に広がる光景に目を覆い、「嘘やん…」と呟いている内にいつの間にか終わっていたジャマイカの叫びと歌を熱と共に打ち固めたような何か。1976年に発生したボブ・マーリー暗殺未遂事件を題材にするも、歌手自身の台詞はなく、舞台で言えば複数の「端役」の語りで劇が進む。中でも、とある女性の告白が一貫して力強く、時に声を上げて笑ってしまう程に面白くて痛快だった。タイトルにある通り登場人物の複数名が殺されるのだけど、殺される事が分かっている人々の、殺される寸前までの描写が本当に鬼気迫るもので言葉にならない。(内容のえぐさは新堂冬樹の『溝鼠』を連想させる…と書いたら伝わるだろうか?)常に死と隣り合わせの日常という蟻地獄から逃げようと藻掻く人々に、死は決して安寧をもたらさず。それでは何が代わりに安らぎを与えてくれるのか、考えても考えても結論には至らなかった。

余談ですが今回邦訳だけでなく原文で読もうとするも、あまりにスラングが見慣れないものばかりで久々にオーディオブックで「読んだ」のですが、演者がジャマイカ訛りを効かせスラングやジョークもバッチリと決めていてとても良かったので、宜しければお試しください。

ハイチ/「クリック?クラック!」エドウィージ・ダンティカ

クリック?クラック!

クリック?クラック!

舞台:1930から80年代ハイチとアメリカ おすすめ度:★★★☆☆

12歳の時にアメリカへと移住した以後、自身のハイチ生まれのルーツを探るかのような作品を執筆し続けている筆者による、九編の短編とエピローグから成る連作短編集。デュヴァリエ独裁政権下の暴力、圧政、経済的困窮に直面した女達は、各々どう反応するのか。物理的な逃避ーまずは今も毎日のようにテレビで見掛けるあの難民ボートに乗って、そして最期は海へと飛び込んでーを選ぶのか(「海に眠る子どもたち」)、叶わぬ夢と狂気への精神的逃避を選ぶのか(「夜の女」「ローズ」)、はたまた過去を抱擁しつつも変化を受け入れ前へと進むのか(「失われた合言葉「ピース」」「昼の女」「カロリンの結婚式」)。果たして自分は同じような状況に置かれた際に、逃避・享受・抵抗のどれを選ぶだろう。「火柱」のあの男のように、束の間の夢に文字通り身を託してしまいそうで少し怖い…が、本作の筆者のように、私の声を書き留めてくれる人がいたならば、それも悪くないのかもしれない。

ちなみにタイトルは語り部の掛け声(「クリック?」)と、聴衆の相槌の言葉(「クラック!」)から。本ブログ記事でも紹介しているマルティニークの『素晴らしきソリボ』にも登場し、親から子へと継がれる口承文化への敬意と愛が伺える。

ドミニカ共和国/「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」ジュノ・ディアス

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)

舞台:1946年のドミニカ共和国から1995年のアメリカまで おすすめ度:★★★☆☆

ドミニカ共和国の住民を長年恐怖に陥れた独裁者トルヒーヨの呪い、「フク」は、世代を超えオスカーの一族を祟り続けていた。成功した医師だったものの、長女の美貌がもたらした災禍を止める事ができなかった祖父、狂おしい程に愛と自由を求めた母、彼女の気性を血と共に受け継いだものの、外見には恵まれなかったいわゆるキモオタのオスカー。例えアメリカに移住した所で、フクの魔の手からは決して逃れる事はできない。スペイン語と英語が混じったフランク過ぎるスラングに異常な程に長い脚注、随所で炸裂するオスカーのナード知識(ウルトラマンの記述もあって笑った)のおかげか全体的にコメディタッチに仕上がっているものの、「サファ」の力を借りオスカーがついにフクに立ち向かう姿は、ドミニカの人々がかつて切望したものを勝ち取るため闘っているようにも思え、胸が詰まった。他に類を見ないスタイルを確立した大河小説。

マルティニーク/「素晴らしきソリボ」パトリック・シャモワゾー

素晴らしきソリボ

素晴らしきソリボ

舞台:20世紀後半のフォール=ド=フランス おすすめ度:★★★☆☆

カーニバルの真っ最中タマリンドの木の下で、語り部ソリボは「言葉に喉を掻き切られて死んだ」。その場に居合わせた14人の目撃者(ほぼ無職)、彼らを重要参考人として尋問する警察。果たして犯人はー。安いオーデコロンの匂いとタフィア酒に酔い痴れながら、飛び交う罵詈雑言と繰り出されるパンチを物ともせずに、太鼓の音に合わせて踊りたくなるような、五感の全てを動員して堪能する文学作品だった。需要が減りつつある炭を売る仕事と同様に、ソリボの口上はこの世界から求められる事は減り、退場を余儀なくされている。そんな口承文学の「素晴らしい転落」の末の最期の時を、バトンを渡された記述文学を持ってして、華々しく壮大な餞の言葉で送ってあげる事が、残された人間の務めなのだろう。

バルバドス/「私の肌の砦のなかで」ジョージ・ラミング

私の肌の砦のなかで (叢書・エクリチュールの冒険)

私の肌の砦のなかで (叢書・エクリチュールの冒険)

舞台:1930から40年代バルバドス おすすめ度:★★★★☆

きえええ何でこんな名作が日本ではここまで無名なんだ、ネットで検索したらレビュー記事が殆どなかった、なんてこった!政治小説なのかエンターテイメント性はない、ないので決して面白いとは言えないんだけれども、個人的にこの記事の中で紹介しているカリブ文学の中では一番広く読まれて欲しいと思っている作品。カリブを理解する一助になると思う。

筆者の実体験を元にした本作、主人公である「ぼく」の村の人々には名前がない、名前は重要ではないからだ。それより彼らが何を信じ語るのか、そちらの方が重要で。それが信じさせられ、語らせられたものだったら?慈悲深い白人の領主、信用ならない同胞、学校で生徒が振るユニオンジャック、寝る前に唱える祈りの言葉。九歳のぼくが信じて疑わなかったものは、例え生地を離れた所で消え去らずに待っていてくれるものなのだろうか?

作者自身が指摘しているとおり、これは白人による指導教育と黒人の想像力のせめぎ合いを描いた作品だ。白人達はバルバドスの人々を惨殺した訳でも強制収容所に連行した訳でもないものの、なんとも惨い事をしたものだ…。そしてその順当な結果であるエンディングが残酷過ぎて言葉を失う。嵐の日、住民の歌で震え活気に溢れていた村はもう戻りはしないし、「ぼく」が純真無垢でいられた日はもう来ない。ただ、水で満たされたコップの底から覗いた満月(といった、本作で何度も何度も目にする素晴らしい情景描写)のように、不明瞭だが息を呑む程美しい、黒人の人々の心の記憶は決して掻き消されはしないのではないか。ラミングのような作者が執筆を続ける限りは。

トリニダード・トバゴ/「ミゲル・ストリート」V.S.ナイポール

ミゲル・ストリート (岩波文庫)

ミゲル・ストリート (岩波文庫)

舞台:1940年代ポートオブスペイン おすすめ度:★★★☆☆

トリニダード・トバゴのこのミゲル・ストリートでは、仕事という仕事をしていないにもかかわらず食うには困っていないどころか、日がな一日「名前のないモノ」を作り続ける大工や、一つの単語を延々と地面に書きつける狂人に、昼間から呑んだくれている住民がそこかしこをフラフラし、幼い主人公を魅了する。しかしそんな彼らの中でもある種の不文律は存在し、真の男である事を証明するためには見栄も暴力も辞してはいけない。そしてだからこそ、彼らがふとした時に見せる、致命傷とも言える尊くも憐れな弱さを、少年が見逃す事はない。笑えばいいのか、泣けばいいのか、とにかく困ってしまう一冊だった。イギリスとアメリカの間で揺れる植民地だからか、住民は努力を積み重ね何かを成し遂げねばならない、という西欧主義的な強迫観念に囚われているように思えるし、白人を崇拝し黒人の同胞を嘲笑する姿は見ていて痛ましい。それでもそんな彼らを嘆くでもなく、一種諦観の念を持って滑稽な姿そのままに描いた作者は、優しいのか、はたまた残酷なのか。

オセアニア

トンガ/「おしりに口づけを」エペリ・ハウオファ

おしりに口づけを

おしりに口づけを

舞台:現代の架空の島国ティポタ国 おすすめ度:★★★☆☆

地元の名士として知られ人望も厚いオイレイはある朝、肛門の激痛で目を覚ます。治療のために名うての民間療法士や呪術師の元を転々とするも、一向に治る気配はなく…。タイトルの通り「ケツ」だ「クソ」だと罵詈雑言のオンパレード。人を卒倒させる程の屁だとか、内容も呆れるくらい馬鹿らしくて笑えるんだけど、オイレイの巡礼の旅を巧く使い、自国の民間医療のみならず先進的とされる西洋医学まで、右も左もぶった切りまくる皮肉がむしろ心地いい。国連が頻繁に開催したがる無意味なフォーラムや、援助品のテントが全く違う目的で使われてる様子は、援助を受ける側の立場だからこそ描けるもので。西欧の作品では決してここまで素直に表現されないので、新鮮で良いなぁ。穢らわしいとされる肛門も爪弾きにされがちなオセアニア諸国を表しているんだろうか。そう考えると最後に展開される肛門哲学も馬鹿にできない、壮大な作品なのかもしれない。

オーストラリア/「ピクニック・アット・ハンギングロック」ジョーン・リンジー

ピクニック・アット・ハンギングロック (創元推理文庫)

ピクニック・アット・ハンギングロック (創元推理文庫)

舞台:1900年2月14日以降ビクトリア州 おすすめ度:★★★★☆

1900年2月14日、オーストラリアのとある女学校の生徒達は岩山へピクニックに出掛ける。気怠げな雰囲気の中で少女達それぞれが思い思いに読書や昼寝に耽る中、仲良し三人組が地域の名所であるハンギング・ロックを見に行ったまま戻らない。また、厳格さで知られる女教師もなぜか肌着で山を登る姿を最後に目撃されたまま、忽然と消えてしまう。そしてこの事件の波紋は徐々に広がりー。

オーストラリアの代表作である事は前から知ってたので期待が高かったにもかかわらず、それを軽々と上回る面白さ。失踪の謎が気になってページを繰る手が止まらなかった。ただのサスペンスかと思いきや、この年代の少女の危うさ、不可解さ、から恐ろしさを、絶妙な筆致で書き上げた純文学。根強い人気のあるウィアー監督の映画化作品で有名だけど、原作も是非是非!映画のあの眩し過ぎて目を細める空気感、それがそのまま小説で体現されていたとは…恐るべし。

ニュージーランド/「ボーン・ピープル」ケリー・ヒューム

The Bone People: A Novel

The Bone People: A Novel

  • 作者:Keri Hulme
  • 出版社/メーカー: Penguin Books
  • 発売日: 1986/10/01
  • メディア: ペーパーバック

舞台:1980年代ニュージーランド おすすめ度:★★★★☆

記念すべき100冊目の作品はニュージーランドのもの!1985年にあの有名なブッカー賞を受賞しているにもかかわらず(本記事の『恥辱』や『七つの殺人に関する簡潔な記録』が同賞を受賞)、未だ邦訳に恵まれない不遇な作品を選びました…!邦訳がない作品を紹介するのは(これでも)なるべく控えているつもりなのですが、これだけは…、これだけは…!本当に大好きで、むしろこれを機に訳本が出る事を願掛けする思いで、紹介させてもらいます。自立した女性主人公、孤独や痛みからの回復といったテーマを主眼に置いた本作は現代だからこそ刺さるはず。マオリ語がふんだんに使われているのも良い。

ニュージーランドの浜辺に聳え立つ塔。そこにはある事件をきっかけに、あらゆる人間関係を断ち暮らす一人の女性がいた。そして嵐の夜、彼女の下に一人の少年が転がり込む。決して言葉を発しようとしない啞の少年がとる不可解な行動に翻弄されつつも、徐々に心を開いていく二人。やがて少年の養父でありマオリ族でもある男性とも懇意になるが、それぞれには未だ痛む過去の傷があり。血の繋がりのない三人の間の絆は、果たして…。はぁぁぁ〜ほんと名作、今思い出しても名作。全くなんでこんなに好きなんだろう、と色々考えたのですが、人種、出自、血、なんの繋がりもない赤の他人であっても、他者を救い得るのだ、というそのメッセージがあまりにも輝かしいから好きなのかもしれない。救ける側であっても救けられる側であっても、それがどれだけ心の救いとなるか。家族や親戚、友人には言えない事も、他人だからこそ言える事もある。「親だからこそ頼るべき」「子だからこそ愛すべき」「パートナーだからこそ信ずるべき」それが呪詛の言葉となる人もいる。人と人との関係性が多様になった今、その絆の価値を示す本作が癒しと力となるであろう人達に対して、もっと広く読まれて欲しい。

長くも短い世界旅行を終えて

はぁ〜読書による素晴らしい世界の旅が終わってしまった…!長かったのか、短かったのか。なんとも言えない気分。実に三年越しで書いた記事なので、一つ一つの書評の文体がコロコロ変わっている部分もあるかと思いますが、そこは目を瞑っていただければ!また、世界文学を100冊読んで気付いた点が沢山あるのでまとめたいと思うのですが、今は完全燃焼で心ここにあらず、エネルギーがゼロ近い状態なのでまたの機会にしたいと思います。

少し時間が経ったのでつらつらと考えた事をまとめてみました。宜しければ読んでみてください。

最後に、これらの本を世に出してくれた作家、翻訳家、出版社の方々。紹介してくださった書店員の方々。中には残念ながら日本では絶版となってしまった作品もありますが、海外文学の逸品を数々の苦難を乗り越え読者の手元に届けてくださった皆様には、感謝してもしきれません。心からの敬意と感謝の意を、ここで。これからも世界の名作が世に溢れん事を願うばかりです。

読了国マップ

ちなみに小説を読んだ国を色掛けすると下記のマップのような感じです。やっぱり南半球、特にアフリカ大陸の作品は手に入れるのが難しく、国の数も多いので、結構歯抜け。中央アジアの本ももっと読みたいので、またの機会に埋めていくつもり。

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(地図はJavaScript Chartsにて作成)