ゴミ本なんてない

色々な本の読み方の提案をしているブログです。

おすすめロシア文学10選とゆかりの地巡り

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ディストピア小説好きが高じると、行き着くのはロシア文学だと思うようになった今日この頃。

ディストピア小説の記事でも紹介したザミャーチン『われら』やランドの『アンセム』といったロシア人作家のディストピア作品を読み漁る内に、徐々にロシア文学にもハマり始め、とうとうロシア革命100周年である2017年の12月に、真冬のロシア一人旅までしてしまいました。雪が降り積もる中、文豪ゆかりの地や、小説の舞台などを巡る旅、非常に情緒があってオススメです!一人で行かなくても良いと思いますが…笑

まだまだ知らない作品ばかりですが、今まで読んだ中でもおすすめの有名ロシア文学10冊と共に、旅で巡ったその作品や作家と縁のあるロシアの地をまとめてみたので是非ご覧ください。

エフゲニー・オネーギン」アレクサンドル・プーシキン(1832年)

オネーギン (岩波文庫 赤604-1)

オネーギン (岩波文庫 赤604-1)

大好き度:★★★☆☆

あらすじと感想:近代ロシア文学の祖として、また国民的詩人として愛されているプーシキンの代表作。苦心の末に編み出した、ABABCCDDEFFEGGのパターンで韻を踏む特徴的な韻文で構成される。

社交界の星として、一通りの享楽を味わい尽くした主人公のオネーギン。次第に全てに飽き、叔父の死を機に厭世家として郊外の村に身を引く事に。そこで彼とは対照的に明るく実直な青年レンスキーと意気投合し、彼の許嫁であるオリガと彼女の姉、タチアナと出会う。一目で恋に落ちたタチアナは、愛読する恋愛小説よろしく恋文をオネーギンに送るも、冷たくあしらわれてしまう。そして、ある事件が起き、四人の別れは決定的に。時は経ち、長旅からモスクワに戻ったオネーギン。運命の夜、見違えるように成長したタチアナに再び出会うも…。

それまで格式ばっていたロシア文学に口語を取り入れ、より親しみ易くするなどの工夫で、ロシア文壇に衝撃をもたらしたプーシキン。ロシア文学を大きく「プーシキン前」と「プーシキン後」に分類する人もいる程。本作も最初は読み難く感じましたが、物語の骨子は非常にシンプル、登場人物も最小限に抑えられているので、次第に韻文のリズムにも慣れ、どんどん読み易くなっていきました。それにしても韻の踏み方が秀逸、そして情景描写がとても綺麗で、とにかくめちゃくちゃ原作のロシア語で読みたいと思わせる力があります。

そしてすれ違いの恋も切ない!人生やはり縁と運、なのか。読んでいてミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を少し思い出しました。若い時に出会う二人は、音楽を共に作曲しモチーフを共有する事もできるが、ある程度の年齢になってから出会う二人の場合、既に互いの曲は完成しきっており、モチーフも、物も、言葉も共有する事はできない、云々の部分です。

ちなみに控えめながらも清廉で、キャラの立ったタチアナは最後にとある決断をしますが、本記事で紹介しているトルストイ『アンナ・カレーニナ』の主人公アンナが下した物とは全く違っていて、これもまた面白いです。

プーシキンゆかりの地:

文学カフェ(サンクトペテルブルク

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プーシキンが命を落とした決闘の直前に立ち寄り、レモネードを飲んだ事で知られる文学カフェ。プーシキンの時代は菓子店で、彼の他にもドストエフスキーやレールモントフなど、名だたるロシアの文豪が通っていました。その後チャイコフスキーなどの作曲家が愛用したレストランとなり、1985年に改装が行われ、現在の姿となっています。内容が豪華な割に料理はそれ程高くなく、美味しい!

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一階にはプーシキンの蝋人形が物憂げな表情で鎮座。

プーシキンの家博物館(サンクトペテルブルク)

文学カフェから歩いてすぐの場所にはプーシキンの家博物館もあります。今回の旅では悲しい事にたまたま定休日で行けませんでしたが、プーシキンがその生涯を閉じた事で知られる家には、彼の原稿やメモが展示されています。腹部に銃弾を受け重体のプーシキンが運び込まれ、二日後に息を引き取った部屋は通常閉鎖されているものの、年に一回、彼の命日には一般に解放されるそう。

青銅の騎士(サンクトペテルブルク)

プーシキンは『エフゲニー・オネーギン』意外にもサンクトペテルブルクのシンボルである「青銅の騎士」を題材にした同名の長編叙事詩を残しています。ネヴァ川の氾濫で、大切な人を失った主人公エフゲニーは、青銅の騎士像を呪うもー。一度詩を読んでからサンクトの観光名所、聖イサアク大聖堂のすぐ側にあるこの像をご覧になってみては。

カフェ・プーシキン(モスクワ)

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プーシキンと直接の縁があるようで実はないレストラン。プーシキンの生誕200周年の1999年に、プーシキンに因んだプーシキンスカヤ駅のすぐ近くにオープン。フランスの歌手が歌の中で登場させた架空のレストラン、「カフェ・プーシキン」を題材にしています。要予約の2階「ライブラリー・ルーム」は書斎風。本好きには堪らない空間となっています。料理の値段は高めですがその分とても美味しく、オススメ。

外套・鼻」ニコライ・ゴーゴリ(1842年・1836年)

外套・鼻 (岩波文庫)

外套・鼻 (岩波文庫)

大好き度:★★★☆☆

あらすじと感想:ゴーゴリの代表的な短編2編。『外套』は、超が付く程の倹約家が、布が擦り切れ反対側が透けて見えるまでになった外套をついに新調するも、不幸に巻き込まれる話。『鼻』は、官史の鼻がある日突然取れてしまい、さらには人格を得て一人歩きし始める話。 どちらもあらすじにするとなんとも間抜けな短編ですが、いずれも近代ロシア文学に革命の風を起こしたと言われるゴーゴリの代表作。本人が意図していたかはさておき、当時のロシアの官僚制社会への痛烈な批判と捉えた者も多く、一躍人気作品となりました。

どちらも浅く捉えればシンプルで笑える小話として楽しめるし、深く捉えれば人間の権威に対する欲や虚栄心を嗤った諷刺として考えさせられる物がある。個人的には『鼻』の方が荒唐無稽で好き。『外套』の主人公はいじましくも可愛らしくて、こういうキャラクターは変に感情移入してしまうから苦手なんです。

ゴーゴリゆかりの地:

カザン大聖堂(サンクトペテルブルク)

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『鼻』の中で主人公が自身の鼻を追い詰めるシーンの舞台。同作は他にもネヴァ川やネフスキー大通りなど、サンクトペテルブルクの名所が登場するので事前に読んでから観光すると面白い。

『鼻』の像(サンクトペテルブルク)

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『鼻』に登場する理容師が住んでいた通りに備え付けられた像。

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住宅街のど真ん中、しかも建物のかなり上の方にあり、知らない人には何が何だか分からず不気味に見える事必至。

ゴーゴリの家博物館(モスクワ)

モスクワ市内には、ゴーゴリが人生最後の4年間を過ごした家を改装した、ロシアで唯一の彼のための博物館があります。ここで『死せる魂』の第二部の原稿を書き上げ、暖炉の火にくべてしまったとか。彼の遺品はあまり展示されていませんが、当時の雰囲気を知るには良いかもしれません。

現代の英雄」ミハイル・レールモントフ(1840年)

現代の英雄 (岩波文庫 赤 607-1)

現代の英雄 (岩波文庫 赤 607-1)

大好き度:★★★☆☆

あらすじと感想:何事にも、そして何者にも情熱を傾けられない自分に懊悩しながらコーカサスを放浪する青年ペチョーリンの人と成りを、他人からの伝聞と本人の手記を交えた形で捉えた当時の意欲作。現地の族長の娘ベーラや令嬢メリーを巡る争いの種を自ら植え、他人を焚き付ける彼の目的は何か?そして、彼の生きる意味とは?

見る人によって人物像が変わるという現象は現実では当たり前の話だけど、それを小説で表現する手法は当時のロシア文学では珍しい。同時代1847年に発表されたエミリー・ブロンテによる『嵐が丘』を少々彷彿とさせます。

また、本記事で紹介している他のロシア文学作品とは違い、舞台はコーカサスの荒々しい大地であるものの、主人公のペチョーリンは本記事でも紹介している『エフゲニー・オネーギン』のオネーギンや『父と子』のバザーロフと同様、知性と教養を持ちながらも生に意義を見出せない「余計者」である点で共通しています。この様な者達が当時の若者の代表として、そして「現代の英雄」とも冠される様になった時代背景はどのようなものだったのでしょう。知識が無さ過ぎるので、もう少し勉強したい!

小説としては粗削りながらも、筆者レールモントフが20代で書いたとは思えない程の慧眼に富んだ本作。敬愛していたプーシキンの死の際に捧げた『詩人の死』という詩をきっかけに脚光を浴びた彼ですが、皮肉な事に本作のペチョーリンと同様、決闘により26歳にして命を落としています。彼が更に年を重ねていたら、より斬新で円熟な作品を数多く発表していたかもしれないと思うと、残念でなりません。

レールモントフゆかりの地:

レールモントフの家博物館(モスクワ)

 ネフスキー大通りにある有名大型書店、「ドム・ニギ」のすぐ近くにある博物館。彼が残したスケッチや楽器などが残されており、当時の様子が伺えます。

父と子」イワン・ツルゲーネフ(1862年)

父と子 (新潮文庫)

父と子 (新潮文庫)

大好き度:★★★☆☆

あらすじと感想:大学を卒業した息子、アルカージーの帰省を心待ちにしていた地主のニコライ・キルサーノフ。しかし、帰郷に同行した親友バザーロフの、芸術も宗教も無意味と断ずるニヒリズムにすっかり染まりきった息子に、彼は戸惑いを隠せない。それでも息子らの輝きと可能性に目を細めていたキルサーノフ夫妻だったが、ついに旧世代と新世代間の確執は決闘にまで発展してしまいー。

1840年代に主流であったロマン主義と、1860年代に時勢に乗っていた功利主義や唯物主義を掲げる世代間の対立を描いたとされる本作。ツルゲーネフと言えば青年のほろ苦い初恋の思い出を描いた短編小説『初恋』が日本では有名ですが、こちらも「親と子世代の確執」という普遍的なテーマを扱った、現代の読書にも耐え得る名作です。

当時のロシアではたまたま若者の心を掴んだのがニヒリズムだったたけで、これを現代の若者の間で流行っている思想に置き換えれば、親子の交流はどこにでもあるもの。ただ、久々の親との邂逅の場でも、自分の信念を振りかざし真っ向から対峙していた子世代に、少し幼さを感じてしまったのは自分だけだろうか。いや、大学卒業したての時は自分もそんなもんだったかな…。

個人的にツルゲーネフが描く人間同士の憎愛が好き。『初恋』の少年が憧れの人の命令を受けすぐさま堀から飛び降りるシーンと同じく、本作のとあるキャラがプロポーズを受けて目に涙をためるシーン、アルカージーが友人との別れを惜しんで(今までの信条を完全に捨てて)首に腕を回し泣くシーンが、グワッと胸に迫るものがあった。

ツルゲーネフゆかりの地:

ツルゲーネフ博物館(モスクワ)

モスクワ市内には、ツルゲーネフが作家人生の初期に住んでいた家を改装した博物館があり、彼の手紙や原稿、デスマスクなどが展示されています。

罪と罰」フョードル・ドストエフスキー(1866年)

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

罪と罰〈上〉 (新潮文庫)

大好き度:★★★★☆

あらすじと感想:ペテルブルク大学の苦学生だったラスコーリニコフは、ついに学費滞納のため除籍となってしまう。そして思い出すは下宿のすぐ側で金貸し業を行なっている守銭奴の老婆の存在。なぜ有能な自分の前途が閉ざされる中、彼女の様な人間の屑がのうのうと生きているのか。彼女を殺し、代わりに自身で富を有効活用する方が、余程世のためになる。そして、非凡な我にこその資格があるのだー。妄執に囚われたラスコーリニコフは頭の中の声が命ずるままに老婆を手に掛けるが、その場に居合わせた彼女の妹まで殺してしまいー。

言わずと知れたロシア文学の名作。これだけのボリュームの作品を読者を飽きさせる事なく読ませるのは流石としか言いようがない。初めて読んだ時は、その世界を終わらせたくなくて最後の一章で読み進める事を辞めてしまった程。やっぱり何度読んでも面白い。

殺人に手を染めた主人公のラスコーリニコフに、病んでいく彼を気に掛ける好青年のラズミーヒン、清廉で気位が高い妹のドゥーニャ、徹底的な自己犠牲を貫く聖女のソーニャ、悪を地で行くスヴィドリガイロフ、と様々な気概の人物が登場するのですが、読み進める内に彼らは誰しもが持っている、個人の内面を描写しているのではないかと感じるようになりました。悔悟、驕り、矜持、慈愛、僻み、恋慕、などの様々な感情が、この重厚な作品にこれでもかと詰め込まれています。そんな中、あまり声を大にして言えませんが、主人公が一番人間らしいと思うのは、私だけでしょうか。

ドストエフスキーゆかりの地:

ラスコーリニコフの下宿(サンクトペテルブルク)

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主人公の下宿のモデルとなったと言われる建物。この家の屋根裏に住んでいたのか、と想像すると感慨深い。

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建物の角にはドストエフスキーのレリーフが。人物は作者?屋根裏へと続く階段を登っている様子。

金貸し老婆の家(サンクトペテルブルク)

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金貸し老婆の家はラスコーリニコフの家からちょうど730歩…と小説では描写されていますが、実際はどう頑張ってもそれ以上あるらしいです。主人公の気が急いていて、歩幅も自然と広くなったのでは、と推測するファンもいます。側から見ると普通のアパートです。近くにはソーニャの家も。

ドストエフスキーの像(サンクトペテルブルク)

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ドフトエフスキーの名を冠したドストエフスカヤ駅から程ない場所にある銅像。何故毎度毎度物憂げなのか。

ドストエフスキー博物館(サンクトペテルブルク)

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像から歩いてすぐ、作家が死去するまで過ごしたアパート兼博物館。展示品は建物の2階にあるのですが、入り口は地下、看板もロシア語オンリーのため少し見つけ難いです。建物の壁にドストエフスキーのレリーフがあるのが目印。

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当時の家具や蔵書、服までそのまま。写真はドストエフスキーが晩年に『カラマーゾフの兄弟』を執筆した書斎。ろうそく二本の灯だけで執筆していた当時の様子を再現しているためか、部屋は全体的に暗め。右の時計は彼が亡くなった8時38分で時が止まっています。

ドストエフスキーの墓(サンクトペテルブルク)

アレクサンドル・ネフスキー大修道院内のチフヴィン墓地にあるドストエフスキーの墓。『カラマーゾフの兄弟』のエピグラムでもある聖書の一節、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」が刻まれており、常にファンで賑わっています。同墓地は他にも作曲家チャイコフスキーや物理学者オイラーが埋葬されている事で有名。

アンナ・カレーニナ」レフ・トルストイ(1877年)

アンナ・カレーニナ〈上〉 (岩波文庫)

アンナ・カレーニナ〈上〉 (岩波文庫)

大好き度:★★★☆☆

あらすじと感想:トルストイによる、『戦争と平和』に並ぶ代表作。仕事ばかりで家庭を顧みない俗物官僚の夫を持つ美貌のアンナは、若く逞しい青年将校ヴロンスキー伯爵と瞬く間に相思相愛の仲に。それと同時にヴロンスキーに想いを寄せていたアンナの義妹キティ、そしてキティを一途に想っていた素朴な地主貴族のリョーヴィンらは失意の底に落とされる。想い破れ、領地の開墾に身を投じるリョーヴィンと、社交界から誹りを受けつつも不義を重ねるアンナ。二人の対照的な人物を、一方はロシアの片田舎、もう一方は華やかだが虚飾に塗れた都会、という対極に据えながら、真実の愛とは、人間の生きる道とは何かを問う。

年を重ねる毎に敬虔なクリスチャンになっていったと言われるトルストイですが、最終的には従うべきは神の教えのみ、教会や体制なぞ糞食らえと批判するなどし、独自の宗教観を持つに至った様です。本作でも絶対至高の神の掟を不倫という形で破ったアンナに鉄槌を下している事から、彼の冷徹なまでの信条が伺えます。

トルストイが意図したメッセージに同意するかはさておき、情景描写が息を呑む程美しい本作(精緻な心理描写が絶賛されがちですが)。リョーヴィンが無心で農作業に没頭するシーンが本当に美しくて美しくて、訳も分からず涙が出そうになりました。まるでミレーの「種をまく人」の様に、沈みゆく日を背にしながら腰を屈め、全身のエネルギーを燃やしながら働く人々を写実的に描いたこの場面のためにだけでも、何時間も費やしてこの本を読んで良かったと思える程。ドラマチックなアンナと対比するとリョーヴィンは実に地味ですが、私は彼を真の主人公と呼びたい。

トルストイゆかりの地:

劇場

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『アンナ・カレーニナ』の物語の中で特に頻繁に舞台となっている劇場。アンナが身を置く社交界の虚飾と欺瞞を描く、文字通りの舞台装置となっています。トルストイは特にサンクトペテルブルクを腐敗した都市として捉えていたよう。写真はオペラとバレエで有名なペテルブルクのマリインスキー劇場です。アンナもこの様な劇場のボックス席に居たのだろうか。想像が膨らみます。

ネフスキー通り(サンクトペテルブルク)

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日本でいう銀座通りに等しいサンクトペテルブルクの目抜き通りは、様々なロシア文学作品の舞台となっています。1720年代には既に舗装され、19世紀には現在の様に多くの店で賑わう通りとなりました。『アンナ・カレーニナ』でもアンナの夫が大急ぎで馬車で駆け抜けています。また、本記事でも紹介しているゴーゴリは『ネフスキイ大通り』という短編を書き上げ、魔都としてのサンクトペテルブルクを表現しています。

トルストイの家博物館(モスクワ)

こちらも時間が無く行きませんでしたが、モスクワ郊外にはトルストイが晩年の20年間を過ごした一軒家をそのままの状態で残した博物館があります。『復活』を執筆した家には、当時の家財道具一式が揃い、ラフマニノフが演奏したと言われるピアノまで残されているそう。

かもめ・ワーニャ伯父さん」アントン・チェーホフ(1896・1898年)

かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)

かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)

大好き度:★★★☆☆

あらすじと感想:戯曲と短編で知られるチェーホフの四大戯曲の内の二つ。

『かもめ』

とある湖畔の屋外舞台。作家志望の青年コスチャは想い人で女優を目指すニーナを主演に据え、自らが書き上げた前衛的な劇を、有名女優である母やその愛人であり流行作家でもあるトリゴーリンらの前で披露する。しかし、コスチャの母はそれを一笑に付し、真面目に取り合おうとしない。打ちひしがれる彼だったが、その間ニーナの心もトリゴーリンに揺らぎ始める。

そして時は飛び、二年後。作家として芽を出しつつあったコスチャだったが、型に嵌る自分に辟易してもいた。そして彼の下に突如姿を現したニーナ。彼女も女優の夢は未だ花開かずにいたのだった。そんな彼らがそれぞれ選んだ道はー。

芸術や創作、そして人生に必要な物、それはただ一つ「忍耐」だ、という強いメッセージ性を含んだ劇作。初演はロシア史に残る大失敗作と揶揄されたが、後に再評価されるに至り、チェーホフの地位を不動の物にした。なんと現実が創作の世界を追随するという、まさに世界の妙を体現したかの様な作品。自分もただの趣味ですが創作をしている事もあり、勇気付けられました。モームの『月と六ペンス』が好きな人に是非オススメしたい。

『ワーニャ伯父さん』

ある田舎の領地。そこではワーニャと彼の亡くなった妹の娘ソーニャが、つましくもつつがなく暮らしていた。しかしワーニャの亡き妹の旦那でもあった大学の老教授とその後妻が、都会での暮らしを維持できなくなり転がりこんでくる。身の不幸ばかり嘆き、ワーニャやソーニャの献身に無頓着な教授に、ワーニャの長年の敬愛の情は次第に憎悪へと変わっていくのだった。 

チェーホフの作品はまだそこまで読んでいないのですが、『かもめ』と本作の二つに関しては「締め」がとにかく良い。本作も、失意の底に落とされたワーニャ伯父さんを自らも痛みを背負ったソーニャが慰める長台詞で幕を閉じるのですが、諦念の言葉ではなく、未来への希望に満ちたものであった事にとても心が安らぎました。

チェーホフは戯曲だけではなく短編の名手とも言われているらしいので、今後は短編もどんどん読んでみたい所。

チェーホフゆかりの地:

チェーホフの家博物館(モスクワ)

モスクワ動物園の近くにある、チェーホフがサハリンに旅する前に4年程住んで居た住居。当時の様子を遺族の証言から再現しています。ここで医師をしながら多数の作品を発表したそうです。

ロリータ」ウラジミール・ナボコフ(1955年)

ロリータ (新潮文庫)

ロリータ (新潮文庫)

大好き度:★★★★☆

あらすじと感想:「ロリコン」の生みの親。

"Lolita, light of my life, fire of my loins. My sin, my soul. Lo-lee-ta: the tip of the tongue taking a trip of three steps down the palate to tap, at three, on the teeth. Lo. Lee. Ta. She was Lo, plain Lo, in the morning, standing four feet ten in one sock. She was Lola in slacks. She was Dolly at school. She was Dolores on the dotted line. But in my arms she was always Lolita."(原文)

原文の英語で読んだのですが、冒頭の上記一節で雷に打たれたかの様な衝撃を受け、しばし放心。今回本作を紹介するに当たってそのまま転記せずにはいられませんでした。"plain" "slacks" "school" "line"など「L」の音がふんだんに使われ、読むと跳ねる舌は、まさしく主人公の愛玩少女ロリータの子供の姿。そんな彼女が肉欲の対象となっているその皮肉も同時に伝わります。日本語訳では新潮文庫の若島訳より大久保訳の方がしっくり:

「ロリータ、わが生命のともしび、わが肉のほむら。わが罪、わが魂。ロ、リー、タ。舌のさきが口蓋を三歩進んで、三歩目に軽く歯にあたる。ロ。リー。タ。」(大久保訳)

「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。舌の先が口蓋を三歩下がって、三歩めにそっと歯を叩く。ロ。リー。タ。」(若島訳)

この一節だけのために本作を読んで欲しいし、この一節が物語の全てを集約していると言っていい。大筋は主人公ハンバート・ハンバートが運命のいたずらから未成年の少女を義娘にするに居たり、ついには手を出し、約一年余り彼女を囲いながらアメリカ中を逃亡する話なのですが、とにかく始終、ナボコフの文才に唸り、悶え、惑わされる事を禁じ得ません。小児性愛を美化しようとする主人公に嫌悪感しか湧かないはずなのに、彼がのたまう愛ゆえの庇護だ、という釈明に呑まれてしまいそうに。ナボコフの絶技に翻弄され、ただ、ただ、悔しいです。

冒頭が有名な本作ですが、実は最後の一文も酷く美しいので、興味が湧いた方は是非最初から最後までこの美酒の様な作品に酔い痴れてください。

ナボコフゆかりの地:

ナボコフの家博物館(サンクトペテルブルク)

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亡命作家として人生の大半をヨーロッパやアメリカで過ごしたナボコフですが、現在では博物館となっている生家がサンクトペテルブルクにあります。立地は聖イサアク大聖堂のすぐ近く、建物も非常に立派で流石貴族一家、といった所。小説の初版や、彼の眼鏡などの遺品が展示されています。スタッフはお婆ちゃん一人だったのですが、私のためにミニシアターの映像を付けてくれたり(全部ロシア語、英語字幕なしで一切理解出来ず)案内しようとしてくれたり非常に親切で恐縮しきりでした。

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蝶の収集家・研究家としても有名だったナボコフが集めた蝶も展示されています。生涯のシンボルとして、初版本に精緻な蝶の絵を描き、夫人や友人にプレゼントしていたそう。

ドクトル・ジバゴ」ボリス・パステルナーク(1957年)

ドクトル・ジバゴ〈上巻〉 (新潮文庫)

ドクトル・ジバゴ〈上巻〉 (新潮文庫)

大好き度:★★☆☆☆

あらすじと感想:没落した資産家一家の一人息子ユーリィ・ジバゴは幼い頃に両親を失い孤独の身となるも、親類縁者の庇護の下、医者を目指しながら順調に育つ。そんな彼の人生と度々交錯する、とある美女ラーラの影。そして第一次世界大戦後、ロシア革命の大波が人民を襲う中、二人はついに衝撃の邂逅を果たす。

赤軍・白軍・緑軍、とそれぞれの派閥がそれぞれの思想を掲げながら闘い乱れ、多くの罪無き人々が巻き込まれ、命を落としていった動乱の時代。そんな当時の様子を表現するかのように、本作では始終ロシアの過酷な雪嵐が吹き荒れています。ただ、どんなに崇高な思想の下で大義名分を振りかざしていても、結局人は人。一皮剥けば、「想い人に振り向いて欲しいから」「他人に認められたいから」と、実に矮小な個人の都合で突き動かされている事が分かり、その様子は心底滑稽で、虚しい。

そしてこの究極の矮小さが主人公のジバゴに集約されている。彼はただ静かに、誰にも邪魔される事なく、美しい詩を書きたいだけだったのに。そんなちっぽけな個人の夢ですら、結局は他の個の集合体であるロシア革命の嵐が吹き壊してしまうのだった。

それにしても本作はロシア文学のステレオタイプよろしく、登場人物が多過ぎィ!そこら辺のチョイ役にまで名前くれてやってんじゃねぇ!名前のバーゲンセールか!とキレる程だったんですが、「あ…動乱の中、生きて死んでいった人達全員にソポットライトを当ててるのか」と良い方に解釈したら鳥肌が立ちました。でもやっぱり本当に骨が折れたのでその分大好き度は減らしてます笑

ロシア国内では発禁処分となった本作、海外ではパステルナークの代表作と言っても良い程人気を博し、ついにはノーベル文学賞まで受賞が決定するに至ったのですが、ロシア革命を批判的に捉えた小説だけにロシア政府は到底容認できる物ではなく、パステルナークに圧力を掛け受賞を辞退させました。ここでも「体制や思想」が「個」を潰そうとする様は、まるでそのまま『ドクトル・ジバゴ』の様です。

残念ながら日本では絶版となっておりなかなか手に入れられないようですが、もし古本屋などで運良く見つけられた方はお手に取ってみては。

パステルナークゆかりの地:

カメルゲルスキ ペルロク(モスクワ)

『ドクトル・ジバゴ』で主要な舞台となるモスクワ市内にある道。このエリアでジバゴとラーラがすれ違い、ジバゴがその波乱に満ちた生涯を閉じるなどしました。近辺を散歩し、当時の様子に思いを馳せるだけでも楽しいです。

巨匠とマルガリータ」ミハイル・ブルガーコフ(1966年)

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)

大好き度:★★★★★

あらすじと感想:もう、堪らなく大好きな作品。文学の「巨匠」と言われる人物が書き上げたイエス・キリストを題材にした作中作。そして、時空を超える悪魔と!喋る黒猫と!全裸の魔女!のチンドン屋一行が夜に跋扈し、モスクワの街を狂騒と混乱の渦に突き落とす現代。そんな二軸の話がごたまぜになった、なんとも奇想天外な小説。

自身の正体を隠す気はさらさらないんじゃないかと思う程に豪胆な悪魔の凶行は、時におかしく、時に心が底冷えするくらい残酷でおぞましい。人間を可愛らしい豚に変身させたかと思えば、もう一人の頭を容赦なく喰い千切ったりする。何が笑えないジョークで、何が真実か、判別がつく人間は誰もいない。しかもえげつないシーンがあるかと思えば巨匠と魔女マルガリータとの間の純愛もあったりで。もう、何がなんだか分からない!

当時のモスクワの生活を揶揄したと言われる名作ですが、実は生涯を通し度重なる発禁処分の犠牲になったブルガーコフの苦悩も垣間見えます。その過程で積もりに積もった鬱憤を、私生活で気に喰わなかった人間をキャラとして登場させ、ボッコボコにする事で晴らしている点がある意味痛快。彼の執念に拍手を送るか、悪趣味と捉えるかでこの本の評価も分かれそう。

いずれにせよ、創作の世界であれば何でも叶う、文学の可能性を描いた夢の様な、あるいは悪夢の様な一冊です。

ブルガーコフゆかりの地:

パトリアルシエ池(モスクワ)

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物語の序盤、悪魔が突如現れ、登場人物達とキリストの存在を問答するシーンで有名な池。各国の大使館も近い、高級住宅街の中にある。想像していたよりずっと小さくてびっくり。当日は同じブルガーコフファンと思われる青年となぜか目が合い頷き合うハプニングもありました。今度は春の陽気の中訪れて、登場人物達の様にアプリコットソーダを飲みながら散歩したい。

ブルガーコフの家博物館とブルガーコフ博物館(モスクワ)

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パトリアルシエ池から歩いて程ない所にあるのがブルガーコフの家博物館とブルガーコフ博物館。どちらもブルガーコフが住んでいた建物の敷地内にあり、有志が集まりオープンした前者は入り口付近の1階、モスクワ公認の後者はブルガーコフが実際に住んで居た階にあります。また、前者はブルガーコフゆかりの品が多く展示されており、後者は『巨匠とマルガリータ』で悪魔達の巣窟となった場所やマルガリータが宙を飛び抜けた吹き抜けの階段があります。この二つの博物館はライバル関係にあるとの事ですが、ファンからしたらどちらも行きたい所。それにしても博物館同士が同じ建物内で小競り合いって、実に『巨匠とマルガリータ』っぽいと思うのは私だけだろうか。

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ブルガーコフの家博物館で展示されている鉄道模型。ちらっと下を見たらベルリオーズの首が。えげつない!

ブルガーコフの墓(モスクワ)

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ゴーゴリやチェーコフなどの文豪を始めとした、数々の著名人を埋葬している事で知られるノヴォデヴィチ女子修道院の墓地にあるブルガーコフの墓。敷地内にはロシア語の表札しかないので見つけるのに苦労しましたが、ロシア滞在5日目にしてキリル文字がかろうじで読めるようになり、なんとか見つける事ができました。真冬で参拝客もまばらな中でも、沢山の花が備えられていて少しびっくり。ブルガーコフ夫人のとり計らいにより、ゴーゴリの墓が同じ敷地内に移された時の古い墓石が使われているそうです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。政治大国である現ロシアが好きか否かは別として、多くの文豪の足跡で溢れたこの地が私は好きで好きで堪りませんでした。また春にも、夏にも、秋にも、そして次は郊外にも足を運んでみて、ロシア文学ゆかりの地を巡ってみたいと思います。ビザの取得など色々面倒ですが、ロシア文学好きの方は是非一度訪れてみてください!