ゴミ本なんてない

色々な本の読み方の提案をしているブログです。

「極限の食」をテーマにした本15選

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とある日、『ベル・カント』という、1996年に発生した在ペルー日本大使公邸占拠事件を題材にした小説を読んでいた時のこと(2018年にジュリアン・ムーアと渡辺謙主演で映画化もされました)。テロリストが公邸に立て篭もり、日本人を含む政府要人や駐在員述べ72人を四ヶ月以上も人質としたこの事件の詳細が気になり、ネットサーフィンをしていた所、面白い記事を発見。

事件発生から127日間に渡り監禁された人々のためにほぼ毎日食事を作り続けた日本人シェフへのインタビューでは、極限状態に置かれた人質の心身を少しでもいたわるため、日々のメニューにいかに工夫を凝らしたかが語られている。真夏の気温でも傷みにくく、動きが極端に制限されている人々のためにカロリーも抑えめ、かつ飽きが来ないよう毎食アレンジ。特に食中毒には気を揉んだそう。

お も し ろ い。現代においては、食材の選択から調理法、そして食事の供し方まで、ある程度個人の采配で自由に決められるものの、それが「平時」でなかった場合は…?例えば、戦争の只中だったり、監獄の中、宇宙船の中だったらどうだろう…?いわゆる「極限の状態」では、手に入る食材や調理道具に限りがあるだろうし、食事の方法も家族団欒という訳にはいかないだろう。そういった「極限の食」を色々と調べてまとめてみたら面白いんじゃないだろうか!

…と意気揚々と色々読んでいたら、普通にそのネタをまとめた本があった。しかも最初の人質事件の記事を執筆された方のもの(完全なるリサーチ不足)。

せっかく細々と記事を書いていたのにこのままでは悔しいので、当初の予定通り色々な本を読み進め、最後に『極限メシ!』の本を読み、ネタがどれくらい被ったか答え合わせすることに。気になる結果は最後に、まずは自分が読んだ最初の一冊目をご紹介。

南極の食/「面白南極料理人」西村淳

面白南極料理人 (新潮文庫)

面白南極料理人 (新潮文庫)

  • 作者:淳, 西村
  • 発売日: 2004/09/29
  • メディア: 文庫

まず「極限の食」、と考えて真っ先に思い浮かんだのがコレ!いっときベストセラーになり映画化もされた記憶があるものの、一度も読んだことがなかった作品で「標高三八〇〇m、平均気温マイナス五七℃、最低記録気温マイナス七九・七℃の世界で最も過酷な観測地帯」と知られる「ドーム基地」で、南極観測隊の調理担当として一年を過ごした筆者の体験記。雑なオッサンの砕けた口調が面白く、ペンギンやアザラシどころかウイルスすら生存できない極限の地の食事を知るにはうってつけの一冊だった。

まずは準備。人間が一年に必要とする食事と飲料は約一トン弱だそうで、それらの物資の調達も調理担当の責任らしい。要するに天然の冷蔵庫の中で一年過ごすようなものなので、食材も長期間の冷凍に耐え得るものが必要になってくる。野菜はまぁなんとかなりそうなものの、気になるのは卵や牛乳などすぐに痛みそうなナマモノ。長期冷凍すると前者は黄身がゴムやスポンジ状になり、後者は下にクリーム状のものが沈殿し飲めなくなるそう。それでも筆者は業者と試行錯誤を重ねなんとか調達。スーパーであれば簡単に手に入るようなものを用意するだけでも一苦労な様子が伺える。ただ、埋め合わせをするかのように採算度外視で松坂牛や伊勢エビなども大量に調達しているので同情どころか嫉妬してしまった笑

現地に着いてからも、みんなが出来るだけ美味しい食事を摂れるよう腐心する場面は続く。野菜製造機でフレッシュなレタスやもやしを育てたり、ビールを醸造したり。標高が高く沸点が低いので調理も一筋縄ではいかないが、作られる料理はどれもこれも涎が出る程おいしそう。心温まる和食にありとあらゆる蟹料理、中華三昧、フレンチのフルコース。日常の食が恋しくなった時はサッポロ一番みそラーメン。男所帯、逃げ場のない環境で一年も過ごすストレスは察して余りある。そういった場で一日三度の食事がいかにチームの和を保つ緩衝材として重要な役割を持っていたかが良く分かる。自分も異国の地で同僚との共同宿舎で生活していた時は、みんなで作る夕食だけが唯一の心の拠り所だったなぁ…。誕生日は当人の好きな食事を振舞ったり、祝日などの口実を見つけてはことあるごとにジンギスカン大会や炉端焼きパーティーなどのイベントを催したり。筆者が作った食事の美味しさだけでなく、細かな配慮が極地でのトラブル続きの生活を支える「要」だったようだ。

ちなみに現在ではTwitterで「昭和基地」と検索すると、様々な隊員の方々が毎日の彩り鮮やかな食事の様子を写真と共にアップしていたりするので、興味がある方は試してみては。時代の移り変わりを感じます。

極夜のなかの食/「極夜行」角幡唯介

極夜行

極夜行

そして極地>南極>北極と連想ゲームを続けたのちに頭に浮かんだ書籍がこちら。四ヶ月間も漆黒の闇に包まれる北極圏の極夜の世界を犬一匹と共に歩き抜いた探検家によるエッセイ。2018年の出版後、本屋大賞ノンフィクション本大賞に選ばれかなり話題となった作品で、いつか読もう読もうと思いつつなかなか手に取る機会に恵まれなかった中、この記事のためについにピックアップ。いやー面白かった!すぐに電子版を購入して父に勧めた程。冒頭の(一見脈絡なく思える)出産シーンからグイグイ引き込まれ、ページを繰る手が止まらない。まさかあの壮大なクライマックスへの伏線だったとは。

特に「食」にフォーカスを当てた本ではないものの、「ただ物を食べ、生きる」という行為に、極夜という環境であるがために尋常ならざる努力を要する点がつまびらかにされていて興味深い。まずそもそも準備が大変。四ヶ月間の旅路を見越した量の食料や燃料を橇一つで運ぶ訳にもいかないため、ルート途中の無人小屋に事前に配置する作業(デポ)が必要となる中、セイウチに襲われたり白熊に食料を荒らされたりで、通算四年の時間を要したというから舌を巻く。食事の内容は一日五千キロカロリーを摂取できるよう、油分が多めな印象。例えばデポには「干し肉やラードや牛脂、サラミなど」の食材を用意し、夜は「アルファ化米にベーコンや海豹の脂や乾物等を入れ、カレーやキムチの素などの調味料で味付けしたもの」や「麝香牛」「狐」「狼」「兎などの獲物が取れた場合はその肉」、朝は「ラーメンに肉、脂、乾物」「行動食はチョコ、カロリーメイト、ナッツ、ドライフルーツ等」を食べたそう。しかし嘘か真か、飢えによる人肉食の逸話もある程厳しい環境、全てが計画通りに行く訳もなく。とある事件により危機に直面した筆者が、「犬の普段の体重は推定約三十五キロ、餓死して二十キロになるとしても臓物をふくめて十キロは食える部分はあるだろうから」…と、あんなに愛でていた相棒の犬を容赦無く食料計画に組み込み始めたシーンには笑ってしまった(あと犬の「ご馳走」の内容が酷すぎて泣く)。どんな状況でも軽口と罵声を忘れず極夜という未知を突き進む筆者の冒険譚、是非ご堪能あれ。

宇宙食/「宇宙食:人間は宇宙で何を食べてきたのか」田島眞

次に過酷な状況として思い浮かんだのが、地球から一旦離れ、宇宙。安直。ただ、長期間の宇宙空間で何が食べられているのか、そういえば全然分かんないな…と思い手に取った本作、見た目は硬派だけども内容は非常に分かりやすくめっっっちゃ面白い!!!初期の宇宙探査計画では、錠剤やチューブ型の宇宙食が用意されていたがために、そのイメージを未だ強く持つ人も(自分含め)多いが、長期間異常な状況に晒される宇宙飛行士のストレス軽減のためにも、アポロ計画以降は実際の食事に限りなく近いものになりバリエーションも豊富に変化。アメリカやロシア、そしてその他国際宇宙ステーション参加国の現在の宇宙食がリストと共に紹介されており、見ているだけでも楽しい。NASAの宇宙食にはベジタリアンのオプションがあり、メニューにはエンチラーダ(メキシコ料理)・ガンボ(ケイジャン料理)・酸辣湯(中華)などが含まれ国際色豊か。ロシアもボルシチやグヤーシュなどの東欧系のメニューが色々あり面白い。

しかし、通常の食事と全く同じ、という訳にもいかず、宇宙食には様々な条件を満たすことが求められている:

  1. 軽量であること
  2. 無重力で喫食可能であること(無重力下では液体は玉になり浮遊するためある程度粘性が必要、パンやクラッカーも食べかすが飛んでしまうためNG、ナイフで肉を切ろうとしても皿の上を滑るためフォークとスプーンで食べられる物じゃないとダメ)
  3. 常温で長期保存が可能であること
  4. 衛生的であること
  5. 栄養価が高いこと(宇宙環境下では筋肉と骨の退化が著しく、また、放射線被曝の影響も高いため、特定の成分の強化が必要)
  6. 美味しいこと

極限状態に身を置く飛行士に少しでも故郷の味を届るために、こうした数々の厳しい基準をクリアするために開発者の方々が重ねた涙ぐましい努力を思うと、熱い想いが込み上げてくるな…。まさかこの本でここまで感動すると思わなかった。その過程で一般食品の製造においても有用な技法が確立されていった事実も興味深い。あと、最後の宇宙食の未来の章も必見!

科学館の土産物として売ってる真空パック状態のアイスクリームぐらいのイメージだった宇宙食が、まさかこんなにも身近なものだったとは。とにかく面白かった。

野食/「野食のススメ 東京自給自足生活」茸本朗

野食のススメ 東京自給自足生活 (星海社新書)

野食のススメ 東京自給自足生活 (星海社新書)

  • 作者:茸本 朗
  • 発売日: 2017/09/23
  • メディア: 新書

視点を宇宙から地球へ戻し、より身近な物へ目を向けてみる。野草、木の実、キノコに魚介類。だけでなく、蛇、亀、カエルに種々の虫。採ろうと思えば採れるし、食おうと思えば食える、しかし別に採ろうとも食おうとも思わなかった、そんな身近な食材を美味しく食べよう!と人気ブログ運営者であり野食のプロである著者がまとめた実用ガイド。恐らく大半の人とっては食材があまりに(その辺にいると分かっていても)エキゾチック過ぎて、この本に記載されている内容を実践しようと思った時は確実に「極限状態」なのであろうと推測して、本記事で紹介することにした。え…だって…「ぜひ試してもらいたいのが、セミ類の幼虫だ。…アーモンドやピスタチオのようなナッツの風味があって、大げさでなく絶品だ」といくら力説された所で、MURIなものはMURI…。大災害後に食糧危機が発生して何も口に入れる物が無くなったタイミングで涙を流しながらやっとの思いで食べるくらいMURI…。ただゲテモノばかりという訳ではなく、馴染み深い生き物からとびきり美味しそうな珍味まで、都心近郊で採れる野生の食材を旬の季節別に紹介している。オススメの調理方法も写真付きで記載されていて分かりやすい(残念ながら写真は白黒なので、気になる人は著者のブログをオススメしたい)。中でも魚や葉物の天ぷらやどんぐりのデザートが実施のハードルも低く美味しそうだった。それでも自分にとっては完全に「極限の食」である野食を、「身近な食」にしてみたい方、是非本書を手に取って近郊に繰り出してみて欲しい。

※注意:特段虫嫌いという訳でもないものの、読んでいる途中で普通に気分が悪くなったので虫や爬虫類が苦手な人は注意した方が良いかもしれない。

被差別民の食/「被差別の食卓」上原善広

被差別の食卓 (新潮新書)

被差別の食卓 (新潮新書)

  • 作者:上原 善広
  • 発売日: 2005/06/16
  • メディア: 新書

引き続き身近に目を向けて。しかし、社会からは隠匿されてきた身近、被差別の食卓に。

当たり前だが、差別を受けてきた人々から見れば彼らの食事は極めて「一般的」で、「極限」とは真逆のもの。被差別部落で生まれ育った筆者が幼少期から毎日のように食べていた「あぶらかす」も、全国的に流通している食材ではないことを知ったのは中学に上がってからだったそう。そういった形で、人々のソウルフードを「極限」として取り上げるのもどうかと思い悩んだものの、彼らを文化的・物理的に隔離し、排除しようとした社会が一種の「極限状態」を生んだのも事実。不当に強いられた「極限の日常」を生き延びるために知恵と工夫を凝らした世界の人々の、食=反骨の精神を是非紹介したく。何より面白い。

「一般」の人々であれば見向きもしないであろう食材を美味しく食べられるように、様々な工夫が加えられた被差別民の食事。日本、特に関西からは、牛馬の屠殺に関わってきた被差別部落の人々が余り肉の有効活用のために食してきた「あぶらかす」(牛の小腸の素揚げ)や「さいぼし」(保存の効くビーフジャーキーのようなもの)が登場。

その他にも、筆者が実際に足を運んで訪れた世界の被差別民の食事は「そういうことか」と膝を打ち納得する程に身近なものもあれば、「そんな食材もあるのか」驚くものもある。前者で言えば、アメリカ南部の黒人奴隷が食していたフライドチキン。元々白人は鳥の胸肉をローストで食べていたので、黒人が余った手羽を小骨も食べやすいように長時間揚げていたものがフライドチキンになったのだとか。他にも骨の間に残ったスジ肉などを濃いソースで和え、食べ易くしたBBQポークや、動物の飼料だったトウモロコシを使ったコーンブレッドやグリッツなど、今まで深く考えなかった食事の由来がつまびらかにされる(そういえば『風と共に去りぬ』の小説の豚の解体シーンでも、南部貴族は豚肉のロースト、奴隷達はこの本でも紹介されている「チトリングス」という豚のモツ煮、と食べる物がしっかり分かれていた)。上記に加え、ブラジルのフェジョアーダ、ブルガリアのロマが食するハリネズミ、ネパールの不可触民の食事などが登場。これらの詳細は是非本作を手に取って読んで欲しい。

筆者の行動に強引さが目立つ点もあるものの、強いられた極限に決して屈せず、日々を謳歌しようとする人々の努力の結晶に光を当てようとしたルポです。

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本著で気になり購入した「あぶらかす」で作ってみた「かすうどん」。「あぶらかす」を1cm角に切り、油で炒めた後、うどんと一緒に軽く煮込むらしい。ちゃんと作れているか全く分からないが、カリカリに揚がったあぶらかすの香ばしさがうどんによく合い、非常に美味しかった。思っていたよりあっさりしていたが、腹にしっかり溜まる。

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強制隔離のなかの食/「隔離のなかの食」国立ハンセン病資料館

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隔離のなかの食

  • 作者:国立ハンセン病資料館
  • 刊行日: 2017/09/30
  • メディア: 2017年度秋季企画展図録

日本の歴史の中で被差別部落の人達が社会的に隔離されていたとすれば、ハンセン病患者は、1931年に制定された「癩予防法」の力を持って社会的にも物理的にも療養施設への隔離を強制された。一生を療養施設で過ごすことを義務付けられた、「極限状態」に置かれた人々の食生活とは。ちょうどそのテーマで過去に企画展を実施していた国立ハンセン病資料館から資料を取り寄せ、紐解いてみることに。

まずは、給食用の食材の調達から献立決め、炊事から配食まで。時代と共に変化した様子が伺える。人権意識が薄かったであろう初期(1930〜40年代)は、療養所の敷地内に菜園を設け、安い労働力として比較的症状の軽い入所者自身に開墾から畑仕事までを任せ、食料を調達。また、調理から配膳までも入所者が行なっていた様子。行動に制限が課されている中、やりがいを見出せる数少ない仕事であったものの、かなりの重労働で、特に痛覚や温覚などの知覚が病に冒されていた人々は、身体へのダメージに気付けず障害を重くしていった人も多かったよう。中期(1950年代以降)からは徐々に専門職員への業務の移管が成されると共に、献立の内容や配膳方法など、より入所者の要望が汲まれるように。主食を米かパンか、メインを焼肉か焼魚か、といったように選べる選択食や、症状や年齢に応じたメニューのバリエーションを増やす施策が取り入れられていったそう。重症であればある程、食への切実さもひとしおだったのであろう、数々の改善要望が出されたのも頷ける。そして、普段の給食以外にも、所内の売店で不定期に売られたアイスクリームや、年初に食べられた餅などの行事食への期待感も高かったよう。

それらの食を、決して望んではいなかった不自由の中の食を、入所者達はどう捉えていたのか。入所後初めての食事に対する思いを綴った、患者の手記が非常に印象的だった。

病友千人、そのほとんどが生涯忘れ得ない入園後最初の食膳、それがある友には入所患者の極印ともみえたことでありましょう。また他の友には世間の冷眼をまぬがれ得た安らぎの晩鐘とも、そのほか薄気味悪い細菌の巣窟とも、恩愛の絆を焼きほろぼす炎とも思えたことでありましょう。ともかくそれぞれ感情の混乱の中にあって、自分の立場をはっきり凝視めさせられたのです。潜在意識にならない筈はありません。それで、「自分の年まで忘れても、来た日のお菜は忘れない」という不思議の一つが生まれてきたのでありましょう。

太平洋戦争下の食/「戦下のレシピ」斎藤美奈子

差別者も被差別者も同様に食に不自由だった時代があったとしたら、戦時下だろうか。特に太平洋戦争を題材にした映画や漫画で、当時の極限の食事情を描写したものは少なくないし、教科書でも人々が困窮した末に「すいとん」や「サツマイモの蔓の炒め物や煮付け」を作って食べていたと学んだ記憶がある。その状態に至るまでの過程ー戦前の豊かな食文化が戦火と共にどう変遷していったかーを、当時の婦人雑誌の料理記事を基に捉えた一冊が本作だ。

戦前は、特に都市部ではハンバーグ、シチューにオムレツと、今でも人気の洋食が既に浸透していたと知りビックリ。そして「主婦は一家の健康管理者として、家族のために愛情込めた食事を作らなければならない」という、現代にも強く残る概念が当時の婦人雑誌によってかけられた比較的新しい呪縛だと知り驚いた。

そんな婦人雑誌が日中戦争初期に「お母様の手で」作ってあげるべき、と提唱した国威発揚メニュー「鉄兜マッシュ」「軍艦サラダ」がカラー写真付きで紹介されており面白い(正直これ以外も使っている食材は豪華で手数が多い割に、あまり美味しくなさそうなレシピばかり…)。ただ、戦争が進むにつれ手に入る材料にも徐々に制限が出てくる。まずは米。そのためにパンや麺、芋類を用いた料理が多くなる(うどんを細切れにしてチャーハンと同じ要領で炒めた料理は美味しそう)。この頃はまだ工夫を楽しむ余裕が見られたものの、太平洋戦争が本格化するにつれ状況は徐々に変化。米だけでなく他の食材や調味料も配給制になったことで、かなり強引な飛び道具的レシピが散見されるようになる。例えば納豆雑炊にシチュー雑炊、卯の花丼。中でも砂糖の配給が止まってしまったがために苦肉の策で編み出されたおやつのうどんの寒天は、見た目のインパクトもさることながらその味を考えると当時の状況がいかに過酷だったかが伺える。

そして食糧難が深刻となった戦争末期と戦後はさらに悲惨だ。この頃には料理と呼べるしろものはなく、ありとあらゆるものを粉にして水で溶いてすいとんを作ったり、家庭菜園で育てたカボチャやサツマイモを皮から蔓まで食べ切る方法、他の野菜も極力生で食べて食事を嵩増しする戦法、野草の食べ方などを伝授している。いかに美味しく食事を作るかが重要だった戦前と比較すると、戦後はただただ生き延びるため、飢えを凌ぐために手に入れた食材を調理し口にしていたことが分かる。

漸減していく食材と節約を強いられる燃料。そんな極限状態の中、家族のために少しでも栄養高く食べ応えのある食事を用意しよう苦心していた当時の主婦もまた、戦地に身を投じていた兵士と同様に、戦争に参加し闘っていた様子がよく分かる本だった。

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実際に作ってみて、しかも極力おしゃれに撮ってみたうどん寒天。だいぶ無理がある。口に入れるまでは嫌な予感しかしなかったけど想定していたよりはおいしい。うどんと寒天、主張し過ぎないもの同士非常に仲良くやっている。むしろうどんのプリプリした食感がアクセントになり、普通の寒天より食べ応えもあり満足度が高い。ただみかんの存在感は皆無、二切れ目からは猛烈に黒蜜か醤油をかけたくなる。そして三切れ目以降は、ただひたすらに無味無臭の物質を口に運びながら、膨らむ虚無感と闘うことになる。

世界の紛争地帯の食/「もの食う人びと」辺見庸

もの食う人びと (角川文庫)

もの食う人びと (角川文庫)

  • 作者:辺見 庸
  • 発売日: 1997/06/20
  • メディア: 文庫

次は、日本以外の極限の食に目を向けてみる。そのために手にした本作、初っ端からあまりの内容に衝撃を受ける。ダッカの貧民街に存在する残飯市場で、そうとは知らずに他人の食べ残しを口に入れてしまった筆者の「チリリと舌先が酸っぱい。水っぽい」との描写が生々しい。そしてジャーナリストである筆者はこのバングラデシュを起点に、アジア・欧州・東欧・アフリカの各国へと旅立ち、「食べる」という、人間の絶対必要圏に潜り込みながら様々な境遇の人々の素描を試みる。行く先々のエピソードは、ギリギリの生活が常態化している人達のものが多い。ロヒンギャ族の難民キャンプでは、援助機関から配給される食材が周辺地域民の嫉妬と恨みの的となる。それでも作れるものは薄いピターというパンやダルくらい。独立後のクロアチアのとある村では、続くセルビア人武装勢力による攻撃により殆どの村民が疎開。紛争で夫を亡くした老婆が一人残るが、毎日食べているものは何かと問われれば、「アパウリン」と精神安定剤の名を返す。特に印象的だったソマリアのエピソードでは、四人の子供を飢えで亡くした母親が配給品の小麦で作ったアンジェラで空腹を紛らわす傍らで、各国軍の兵士達がワイン付きの豪勢なランチに舌鼓を打っている。「助け」「助けられる」者の食の格差に愕然とした。しかしこれを世の常と言わずして何と言う、現に自分もポテトチップス片手にこの本を読んでいた訳で。極限を常態として強いられる人々の、ただひたすらに淡々ともの食う姿に世の無情と己の無力を感じながら読了した一冊だった。

亡命者の食/「亡命ロシア料理」ピョートル・ワイリ、アレクサンドル・ゲニス

亡命ロシア料理

亡命ロシア料理

戦争、政治的迫害や宗教弾圧により、母国にはいられなくなった人々を「亡命者」と呼ぶ。本作の共著者二名もロシアの地を追われ、遠いアメリカに根を下ろした男達だ。全く違う文化圏の荒波に揉まれながら、ふとした郷愁に襲われ祖国の料理を堪能しようとしたところで、気軽に入れるレストランは少ないし、自分で調理しようにも食材を手に入れることすら一苦労。そんな「極限状態」を皮肉たっぷりに揶揄しながら、怠惰に呑まれた同胞達を右に、センスの欠片もないアメリカ人共を左に、ぶった斬りながら至高の料理を作る秘訣を明かしていく。

「アメリカのパンほどまずいものはない」。だからこそ「アメリカにやってきた亡命者は皆、初めはパン屋になるのだ」。「「シリアル」という訳のわからないチップス型の食べ物」「アメリカのコックが魚からナプキンまであらゆるものに振りかける、大量の揚げすぎたクルトン」などの辛辣な言葉も、的を射過ぎていて米国に二十年以上住んでいた自分もぐうの音が出ない。ただ、異国で生き抜くには適度な柔軟性が求められるのだろう、彼らはなんでもかんでも批判するのではなく、時にバーベキューに勤しみ、母国では珍しいシーフードにちゃっかり舌鼓を打っている。珍妙な海の鶏と言われる缶詰を見つめながら、手に入らない塩漬けキノコに思いを馳せる亡命者達の哀愁と矜持がたっぷりと詰まった一冊だ。

刑務所の食/「刑務所の中」花輪和一

刑務所の中

刑務所の中

  • 作者:花輪和一
  • 発売日: 2018/01/05
  • メディア: Kindle版

亡命と同じように「おふくろの味」が恋しくなる状況は…と考え次に思い浮かんだ極限状態が「刑務所の中」。そのために、本ではなく漫画ではあるものの、Amazonの評価が抜群に高い本作を購入。銃砲刀剣類不法所持と火薬類取締法違反で実刑判決を受け、北海道の拘置所と刑務所で刑に服した作者の実体験を元にした作品で、同様に堀の中を経験したであろう読者の「わかるわかる!」というレビューを見るに、多少の古さはあるもののかなり実態に近い内容なのだろう。

ページ全体をみっちりねっとり埋めながら、刑務所での一日を活写した本作。日々行う刑務作業や独特な慣例(「願いま~す!」というフレーズがこびりついて離れないこと必至)も面白いが、とにかく食事の描写が多い笑 朝昼晩のメニューの例が何ページ分も紹介されていたり、祝日に出される袋菓子が何パターンも例示されていたり(ストロベリーパイが「最高の部類」らしい)。夕食後、登場人物の一人が「今日の楽しみも終わった…」とこぼす程には食事がメインイベントだったことが伺える。それもそのはず、想像以上に副菜が多く、豪華でおいしそう。例えばとある一日の献立は以下の通り:

朝食:米7麦3の麦飯、こうなごの佃煮、塩漬けキュウリ、ネギとろろ昆布の味噌汁に番茶
昼食:麦飯、カレー(豚肉・玉ねぎ・人参・ジャガイモ・グリーンピース)、とんかつ、キュウリと人参の野菜サラダに福神漬け
夕食:麦飯、タラの切り身、白菜と削り節、酢だこ、お吸い物(豆腐・ネギ・人参・ナルト・シイタケ)

トースト一枚→カップラーメン→コンビニ飯の自分と比べるとあまりの格差に慄く…。ただ、食べる物に加え、食べ方と時間を強制されること。また、極端に甘味が制限されていることを思えば、例え不健康であっても選択の自由がある娑婆の生活の方が良いのかもしれない。う~んどうだろう、この漫画を読むと堀の中に憧れる人も絶対にいるだろうなぁ。

刑務所の食に関連してもう一つ取り上げたかったのが、「死刑囚が選ぶ最後の食事」。死を目前にして、なんでも食べられる自由が一度だけ与えられたとして、人は何を欲するのか。これこそ「極限の食」だと思いつつも、残念ながら邦訳された書籍はないので、下記にて写真家が記録したアメリカの死刑囚の最後の食事内容をまとめた記事を紹介します:

自分は餃子とフレンチトーストが食べたい。

機内食/「世界の機内食」「みんなの機内食

世界の機内食 (イカロス・ムック)

世界の機内食 (イカロス・ムック)

  • 発売日: 2017/05/29
  • メディア: ムック
みんなの機内食

みんなの機内食

飛行機の旅はある意味「極限」だと思うのは自分だけだろうか。高度約1万メートルの雲の中、命を他人に預け、それどころか自ら進んで完全な支配下に置かれる、ある意味極限の状態。例え行き先は同じであっても乗客は徹底管理の中、階級によって区別され、座る場所、享受できる娯楽、食べられる物を決められる。勿論食べる時間も寝る時間もコントロールされて…これは完全にディストピア的小空間では…⁈

そんな訳で現代のディストピアで供される食事の内容をまとめた本を二冊紹介。『世界の機内食』は航空会社から提供された綺麗な写真が多く、特にファーストクラス・ビジネスクラスのメニューの内容が充実している印象。『みんなの機内食』はその名の通り様々な投稿者による写真が掲載されていてよりリアル。また、日本ー欧米間以外の路線のメニューが多数掲載されていて面白い(エジプト航空がめちゃくちゃ美味しそう!)。どちらも機内食が作られるまでの工程やCAやシェフへのインタビューなどといったコラムも掲載しており興味深い。それにしてもクラス間の格差が凄いな…デルタ航空のエコノミーフライトで袋に入った朝食を投げつけられたのと、今はなきヴァージン航空のバーカウンターでウィスキーを飲んだ思い出が蘇る…。「金」だけが物を言う極限世界、その格差をこの二冊で俯瞰して見てみるのも楽しいかも。

最古の食/「最古の料理」ジャン・ボテロ

最古の料理 (りぶらりあ選書)

最古の料理 (りぶらりあ選書)

「極限」を考える内に単語自体がどんどんゲシュタルト崩壊していってしまい、次にいつの間にか読了していた一冊がコレ。極限の昔、人類最初の都市文明である古代メソポタミア文明の食事も気になるじゃん?!ある意味「極限」じゃん?!と無理のある自己弁解をしつつ、せっかくなので研究者である筆者の情熱と荒い鼻息がひしひしと伝わってくる本作を紹介します。

とはいっても、メソポタミアの都市文明が形成されたのが少なくとも前4000年紀の始め頃だと考えると、およそ6000千年も前の話。現存している資料もなかなかなく、その中でも最古と思われる前1600年頃に刻まれた石版に記述されているレシピを元に当時の食生活を推測している。そうして読んでいく内に感嘆の声を上げてしまうメソポタミア文明の成熟度、そして富裕度。時代的には日本の縄文時代に当たるのだけど、宮殿や神殿に仕える専属の料理人が居たり、様々な用途に応じて作られた銅製の鍋や鉄製のフライパンなどの調理器具を使い分けていたり、高度な調理方法を用いていたりしていて同じ時代の人々だったとは思えない。調理方法に至っては現代のアメリカ人より凝ったことをしていたのでは…と疑ってしまう程。例えば本作中に数々の肉の煮込みが登場するが、肉の種類によっては一度焦げ目を付けてから煮込み、より味わい深くする徹底ぶり。他にもねなし葛、糸杉の球果、玉葱、ポロネギとにんにくを使って出汁を取ったり、様々な香草で複雑な味付けをしたり、ビールを醸造したり。料理の作り方だけでなく、その供し方にも独自のこだわりが伺える。一度でいいからタイムスリップして古代の料理を食べてみたい!と思うこと請け合い。残念ながらまだ現代の技術ではできないので、下記のお二人のようにタブレットのレシピを参考にしながら、自作してみてもいいのかもしれない。

未来の食/「「食べること」の進化史」石川伸一

「最古の食」に触れた後は「未来の食」に興味が湧くのが必然というもの。「極限の食」というテーマからは少し脱線している感が否めないが、もう少しご辛抱いただければ。選んだ一冊は『「食べること」の進化史』。来たる時代の「食」がどのような技術を取り入れながら作られ、どのような環境で供されるのか、様々な仮説を紹介しているだけでなく、「食」という行為そのものにまつわる理論や研究を種々扱っている。副題の「培養肉・昆虫食・3Dフードプリンタ」で生成した食材を使った料理などは素人の自分でも想定し得るが、音楽の録音や映像の録画のように、料理そのものー味覚・嗅覚・触覚など伴う感覚全てーを記録した「録食」や、個々人の遺伝的特性・持病・健康意識などの要素に合わせて作るテイラーメイドの「個別化食」の普及の可能性などに言及し、そもそも我々が「料理」として捉えているものの境界が拡がっていくようで読んでいてとてもワクワクした。そもそも「食」という行為は、生物学的欲求を満たすという理性的な部分と、食する人の考えや価値観が多分に投影される感性的な部分がある、という一節に納得。ただそのために研究対象が多様になり過ぎて、科学的研究は一筋縄ではいかないよう。この本も少しとっ散らかってしまっている印象を受けるが、「人と人とのつながりを鮮明にし」「神と人、社会と個人、文明と自然、生と死といったものを結びつける働き」を持っている「食」の奥深さ、無限大の可能性が感じられる一冊だった。

人肉食/「棄てられた日本兵の人肉食事件」永尾俊彦

棄てられた日本兵の人肉食事件

棄てられた日本兵の人肉食事件

  • 作者:永尾 俊彦
  • 発売日: 1996/12/01
  • メディア: 単行本

最後は現代の禁忌、「人肉食」を扱った一冊を紹介。本記事内でも紹介している『もの食う人びと』では、太平洋戦争直後に発生したフィリピン・ミンダナオ島で大量に現地住民を殺害し(その数約80人と推定されている)、人肉食を常習的に行っていた複数の残留日本兵による犯行に触れており、より詳細を知りたくなり本作を購入。歴史の闇に葬り去られた人間の業。糧秣も充分に与えられず、敗残兵として「自活自戦の永久抗戦」を強いられた兵士達の「極限状態」は、凶行の免罪符となり得るのか。その疑問に解を得るため、筆者は実際に現地に訪れ、当時の被害者や被害者の親族のみならず加害者にもインタビューを重ね、戦犯裁判での証言記録などと照らし合わせながら日本兵達の足跡を辿る。とにかく一次資料豊富な一冊だった。そして被害者の数が圧倒される程に多く、証言も「敗残兵は父親の首を切り、私たちの目の前で肉をたべ始めた」「(娘)の首を短剣で切り落とし…解体作業は三人でやり、他の二人は見ていた」「猿の肉を焼いた時のような臭いがした」などといった生々しい話が繰り返され、まるで永遠に終わらない悪夢を見ているかのようだった。ただ最終的には、とうもろこし・芋・バナナなどの果物の他に、猿・鹿・豚などの動植物が豊富に手に入る地で、ピストルの弾丸も1500発近く残っている中で、なぜ兵士達が殺人と人肉食に及んだのか最後まで明確な答えが提示されることなく、モヤモヤとした感情が残ることは断っておかなければならない。極度の塩分不足からくる飢餓感を満たすため、塩が置いてある民家を襲う過程で当初は仕方なしに殺していた人々を、その内すばしこい動物を狩るより「楽だから」殺し、それが常習化していったのではないか…と愚推したが、結局「極限の食」の真相は当の本人達にしか分からない。

答え合わせ/「極限メシ!」西牟田靖

以上を持って一通り「極限の食」に関すると思われる書籍を紹介したのだが、果たしてその内どれだけがこちらの『極限メシ!』とネタ被りしていたのか、最後に答え合わせをしてみる。こちらの書籍では計六人の極限状態を生き抜いた・生き抜いている人々へのインタビューをまとめている。そのうち、『極夜行』の筆者に訊ねた「極夜のなかの食」、国境なき医師団の看護師として働く女性が体験した「世界の紛争地帯の食」、アーバンサバイバルの実践者が日常的に口にする「野食」が被っていると判断できるため、ネタ被りは計三件という結果に。その他にも、本作ではマグロ漁船で43日間ほぼずっと船酔い状態で過ごした会社員の食事情、ヨットが転覆し太平洋を27日間漂流後、仲間のうちただ一人だけ生還した男性の極限状況、シベリアの極寒の地で二年以上も抑留された旧日本兵の生死を賭けた日々を紹介しており興味深い。

最後の角田光代氏との対談にもある通り、本ブログ記事で紹介した内容も、殆どが自らの意思で極限に飛び込んでいった「極限に挑戦する者たち」と、自らの意思とは無関係に極限状態に陥り、そこから生還した「極限からの生還者たち」のサバイバーの話に大別できる。いずれにせよ、例え自ら選んだ環境であっても、強いられた環境であっても、人は生き抜くために食べ続けなければいけない。どんなに過酷な状況であっても、少しでもおいしいものを、少しでも楽しく食べようという人間の根源的欲求を再確認し、これを機に日々の食生活を省みるのも良いかもしれない。