こちらの記事を公開して約二週間、ようやく色々と落ち着いてきたので、これを機に記事を書くに当たって考えたことや気付いたことなどをまとめてみようと思います。ただの雑感。
世界文学は欧米だけじゃない
まず記事を書くに当たって一番気を付けていたことが、なるべくちゃんとヨーロッパ大陸以外の作品を選書することでした。この点は結構皆さんにも気付いていただけたようで嬉しい。というのも、特に昔の世界文学全集などを手に取ってみると、大体が欧米圏の作品のみ、良くてもロシア文学とラテンアメリカ文学が数作品取り上げられているだけ。最近の全集では申し訳程度にアフリカの作品として一、二作挙げられることも増えたものの、著者のメンツは大体決まっていて、チヌア・アチェベ(『崩れゆく絆』)、エイモス・チュツオーラ(『やし酒飲み』『薬草まじない』)、J・M・クッツェー(『恥辱』『鉄の時代』)の三人の内の誰か、ということが未だに多い。アフリカ大陸だけでも実は54ヶ国もあるのになぁ…と不満が募るばかりだったので、今回はそういった、普段光が当たらない各国の作品をなるべく多く選ぶことに努めました。結局アフリカ大陸は18作品に留まり、中央アジアやアラビア半島のラインナップの弱さが目立ちますが、それでもカバー範囲は決して狭くはない結果に落ち着いたはず。
女性作家による作品はもっと紹介したかった
もう一点、なるべく女性作家と男性作家の数が同じになるよう頑張ったのですが、これはもう全然ダメダメでした…。数えてみた所、結局女性作家の作品は19作品のみ。二割にも到達しないとは…。特にヨーロッパ圏は全員男性になってしまったので、もし次があるとすれば見直したい限り。
参考までに女性作家の作品は以下の通りです:
・韓国/「菜食主義者」ハン・ガン(Amazon)
・マレーシア/「きのこのなぐさめ」ロン・リット・ウーン(Amazon)
・カンボジア/「バニヤンの木陰で」ヴァディ・ラトナー(Amazon)
・スリランカ/「波」ソナーリ・デラニヤガラ(Amazon)
・パキスタン/「ダーダーと呼ばれた女」ハディージャ・マストゥール(公式サイト)
・ベラルーシ/「チェルノブイリの祈り」スベトラーナ・アレクシエービッチ(Amazon)
・スロバキア/「墓地の書」サムコ・ターレ(Amazon)
・ハンガリー/「悪童日記」アゴタ・クリストフ(Amazon)
・ラトビア/「ソビエト・ミルク」ノラ・イクステナ(Amazon)
・セネガル/「かくも長き手紙」マリアマ・バー(Amazon)
・ボツワナ/「隠された悲鳴」ユニティ・ダウ(Amazon)
・ジンバブエ/「イースタリーのエレジー」ペティナ・ガッパ(Amazon)
・カナダ/「侍女の物語」マーガレット・アトウッド(Amazon)
・アメリカ/「ビラヴド」トニ・モリスン(Amazon)
・ブラジル/「G・Hの受難」クラリッセ・リスペクトール(Amazon)
・ウルグアイ/「狂人の船」クリスティーナ・ペリ=ロッシ(Amazon)
・ハイチ/「クリック?クラック!」エドウィージ・ダンティカ(Amazon)
・オーストラリア/「ピクニック・アット・ハンギングロック」ジョーン・リンジー(Amazon)
・ニュージーランド/「ボーン・ピープル」ケリー・ヒューム(Amazon)
裕福な家庭で育ったエリート作家が多い?
これは色々と読み進めていくうちに気になりリスト化した後に上から確認していったのですが、実はかなりの数の作家がいわゆる上流階級の出であることが分かりました。多かったので途中で数えるのは諦めましたが、例えばアジアだけを取っても日本の川端康成はもともと大地主の家系、カンボジアのヴァディ・ラトナー(カンボジア)は皇族、サルマン・ラシュディ(インド)はケンブリッジ大学卒元弁護士のビジネスマンの息子、ショイヨド・ワリウッラー(バングラデシュ)は県長官の息子、ハディージャ・マストゥール(パキスタン)は軍医師の娘、アティーク・ラヒーミー(アフガニスタン)は州知事そしてのちの予審判事の息子…だったりして、頭がクラクラしてきました。上流階級でなくても、ハン・ガン(韓国)のように親も作家だったり。他の地域も同様でした。
そもそも作家という競争激しく不安定な職業につくには家庭の「太さ」が必要になる場合が多く、かつ作品を世に出すとなると、ある程度の資金力とコネクションが必要。ましてや情勢が危うい国であれば、まずの身の安全の確保を第一に、危険を察知し知らせてくれる人脈(情報が早い政府、政府と強いパイプを持つ機関・企業に勤めている親族など)と逃走手段が必要になる(現にシリア紛争でもまず富裕層が欧州へ逃げ、次に中近東の都市、田舎へと続き、貧困層は他国への逃亡がままならずシリアに留まる、ということが起きた)。万一何かしらの理由で特定勢力に捕らえられた場合も、財力と人脈があれば逃げおおせる可能性が高くなる。
以上の理由から、貧しい家庭の人はそもそも作品を書くという選択肢がなかったか、あったとしても出版できず、全体的に高所得者の作家が多くなったのかなぁ、と漠然と考えました。勿論莫言(中国)のように飢餓を経験した作家や、ザカリーヤー・ターミル(シリア)のように学校を中途退学し、働いて一家を養った末に作家になった人もいますが、どちらかというと少数派のよう。ある程度上記のようなバイアスがかかっている可能性が高い、と意識した上でリストを参照した方が良いかもしれません。
新旧の攻防
ここからは作品のテーマに関する話。世界文学を100冊読んで気付いたのは、代々受け継がれて来た伝統と、それを破壊しかねない革新の波との攻防を描いた作品が多かったこと。人々の対応は様々で、新時代の到来に武器を取り真っ向から立ち向かう者もいれば、両腕を広げて歓迎する者もいるし、諦念に達し座して待つ者も。そして新旧の対立が何で表象化するかが作品毎に違って面白い。例えばオルハン・パムク(トルコ)の『わたしの名は赤』では、絵画を使って表現されているし(神が見た唯一不変の世界を捉えたオスマントルコの細密画 VS 個が尊ばれる西洋画)、パトリック・シャモワゾー(マルティニーク)の『素晴らしきソリボ』では文学を使って表されている(口承文学 VS 記述文学)。上記二作を含む、新旧の確執を主題に据えた作品は以下の通り:
・チベット/「雪を待つ」ラシャムジャ (Amazon)
・トルコ/「わたしの名は赤」オルハン・パムク(Amazon)
・アゼルバイジャン/「アリとニノ」クルバン・サイード(Amazon)
・スイス/「アルプスの恐怖」シャルル=フェルディナン・ラミュ(Amazon)
・スーダン/「北へ遷りゆく時」アッ=タイーブ・サーレフ(Amazon)
・ウガンダ/「ラウィノの歌/オチョルの歌」オコト・ビテック(Amazon)
・マルティニーク/「素晴らしきソリボ」パトリック・シャモワゾー(Amazon)
・バルバドス/「私の肌の砦のなかで」ジョージ・ラミング(Amazon)
大抵は新しい文化に古い伝統が呑まれるものの、ラミュ(スイス)の『アルプスの恐怖』は村のしきたりを軽んじた若者達が「ほれ見たことか」といった具合に手痛いしっぺ返しを受けるのが興味深い。
戦争の功罪
もう一つ散見されたテーマは、戦争。先日の記事の冒頭で「特定の歴史的事象や固定観念に縛られない作品選び」を目指したと格好良いことを書いてますが、結局だいぶ縛られてしまい、ベトナムはベトナム戦争を題材にした作品を、ドイツはナチ政権を扱った作品などを安易に選んでしまいました。国によっては翻訳作品の選択肢が他に無く…。人間の残虐性や利己性などの生々しい部分が剥き出しになる分、戦争によって数々の文学的傑作が生み出されたとも言えなくはないのですが、果たしてそれが喜ばしいことかは疑問に思う所存。戦争だけではなく、その国の日常に根ざした文学がもっともっと日の目を見る世界が早く訪れて欲しいと願うばかり。戦争や紛争が主な題材の作品は以下の通りです:
・中国/「赤い高梁」莫言 日中戦争(Amazon)
・ベトナム/「戦争の悲しみ」バオ・ニン ベトナム戦争(Amazon)
・カンボジア/「バニヤンの木陰で」ヴァディ・ラトナー カンボジア大虐殺(Amazon)
・インド/「真夜中の子供たち」サルマン・ラシュディ 第二次世界大戦・中印国境紛争・印パ戦争など(Amazon)
・アフガニスタン/「灰と土」アティーク・ラヒーミー アフガニスタン紛争(Amazon)
・パレスチナ/「ハイファに戻って/太陽の男たち」ガッサーン・カナファーニー パレスチナ問題(Amazon)
・チェコ/「わたしは英国王に給仕した」ボフミル・フラバル 第二次世界大戦(Amazon)
・ハンガリー/「悪童日記」アゴタ・クリストフ 第二次世界大戦(Amazon)
・ドイツ/「ブリキの太鼓」ギュンター・グラス 第二次世界大戦(Amazon)
・アルジェリア/「昼が夜に負うもの」ヤスミナ・カドラ アルジェリア戦争(Amazon)
・シエラレオネ/「戦場からい生きのびて ぼくは少年兵士だった」イシメール・ベア シエラレオネ内戦(Amazon)
・ブルンジ/「ちいさな国で」ガエル・ファイユ ブルンジ内戦(Amazon)
・ソマリア/「地図」ヌルディン・ファラー オガデン戦争(Amazon)
・アンゴラ/「マヨンベ」ペペテラ アンゴラ独立戦争(Amazon)
・ニカラグア/「山は果てしなき緑の草原ではなく」オマル・カベサス 第一次ニカラグア内戦(Amazon)
こうやって見ると人間戦争し過ぎや…。
喪失と再生
あとは「喪失」をテーマとした作品が多かった印象。人間として死は免れず、時は巻き戻せない以上、喪失と無縁ではいられない。できてしまった心の穴をどう埋めるかは、人それぞれ。何か他のもので代替するか、忘れるか、敢えて埋めずに虚ろを愛すか。いずれにせよ、それらの決断に到達するまでは長く辛い痛みの道のりを経る必要があり。その行程を共に歩むことで得られる「何か」を言葉にする術を私は持たないが、とても大事だと思うからこそ、これからもずっと本を読み続けるんだと確信した。喪失と再生をテーマにした作品は数多くあるものの、特にメインに置いていたと思うものは以下:
・マレーシア/「きのこのなぐさめ」ロン・リット・ウーン(Amazon)
・ベトナム/「戦争の悲しみ」バオ・ニン(Amazon)
・カンボジア/「バニヤンの木陰で」ヴァディ・ラトナー(Amazon)
・スリランカ/「波」ソナーリ・デラニヤガラ(Amazon)
・チェコ/「わたしは英国王に給仕した」ボフミル・フラバル(Amazon)
・アルジェリア/「昼が夜に負うもの」ヤスミナ・カドラ(Amazon)
・南アフリカ/「恥辱」J. M. クッツェー(Amazon)
・アメリカ/「ビラヴド」トニ・モリスン(Amazon)
・ニュージーランド/「ボーン・ピープル」ケリー・ヒューム(Amazon)
国とは、国境とは、国民とは?
そしてここで暴露!100冊も各国の作品を読んでブログ記事まで書いておいて何ですが、「国」ってそもそも何なんだろう、「国民」って誰のことを指しているんだろう、と冊数を読み進めれば読み進める程分からなくなってしまいました。
例えば「国」。現代では便宜上「ここからここまでがA国」「ここから先がB国」と線を引いて国の境を決めているけれど、目に見えるものではないし、決して不動という訳でもなく、歴史と共にずっと変動してきている。そんな心許ない線がガッサーン・カナファーニー(パレスチナ)の「太陽の男たち」で描かれているように、時には多数の人間の生死を分かつことがある。ただ一本の線の越えようとしたがために人が命を落とすなんて、あって良いことなんだろうか。そして、線から北に一歩進んだ所で生まれた兄と、南に一歩下がった場所で生まれた弟が、争いあうことも。ヌルディン・ファラー(ソマリア)の『地図』に登場する主人公と彼の母もその線に人生を翻弄され続けた二人だ。
「国」の定義が曖昧なんだから、「国民」の定義もあやふやなのは当たり前な気がするのだけど、それでも「私はA国人だ」と強い意志を持って自国を守るために命を賭す人がいる。自分には俄かには信じがたいが、アモス・オズ(イスラエル)の『地下室のパンサー』、クルバン・サイード(アゼルバイジャン)の『アリとニノ』、ナギーブ・マフフーズ(エジプト)の『張り出し窓の街』、ヤスミナ・カドラ(アルジェリア)の『昼が夜に負うもの』、ペペテラ(アンゴラ)の『マヨンベ』などの作品では、「自国」の独立のため、戦いに身を投じた者達が多く描写される。ただ「国民」の条件は、共通の民族や部族であるか、宗教・言語・イデオロギーを共有するか、など様々。結局そんなものなのだろうか。
どちらかというとアミン・マアルーフ(レバノン)が『アイデンティティが人を殺す』で提唱したように、自分と他者を分断するものではなく、結び付けるものに目を向ける方がこの時代には求められていると思うものの、結局自分がブログ記事を書くに当たってしたことは特定の「国」を選び、その国で生まれた人をその「国民」と勝手に決め付け、その人が執筆した作品をリストアップすること。自分がそれらの作品を読んで感じたことと真逆のことを行なっているジレンマに頭を抱えてしまった。なので、私の記事に記載してある国名はあくまでも参考までに留め、100冊の作品世界の中で生きる彼らと己との違いよりも、共通項の多さに気付く読者が増えれば良いな、と思いました。
記事のタイトルを海外文学ではなく世界文学にした理由
最後に、ブログ記事のタイトルについて補足を。そもそもSEO的に考えれば「海外文学」という単語も含めていた方がサイトのアクセス数も伸びていたのでしょうが、色々と考えた結果、敢えて「世界文学」一本に絞ることにしました。「海外」という単語を使うとどうしても「己を除いた他者の世界」という印象が強くなってしまう気がしたからです。代わりに「世界文学」とすることにより、「己を含めた世界」の作品紹介という自分の意図に、より沿う形にまとめられたかな、と思います。
以上、世界文学を100冊読んだうえで考えた取り留めのない話でした。