ゴミ本なんてない

色々な本の読み方の提案をしているブログです。

冬に読みたい海外文学22選(冬・雪・氷)

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暑い夏に冬が舞台の小説を読んで涼を取り、冬に真夏の小説で暖を取る、そんな天邪鬼な本の読み方をするのが好きなのですが、今年の冬は素直に雪と氷のモチーフがギッシリ詰まった海外文学を、布団にくるまり紅茶を啜りながら読んでみることに。なかなかオツだったので、今回読んだ小説や、テーマに合った本を紹介します。

ある一生」ローベルト・ゼーターラー(オーストリア)

ある一生 (新潮クレスト・ブックス)

ある一生 (新潮クレスト・ブックス)

例えば、公園のベンチに座った時に視界の端に入った一匹の蟻の動きを目で追う時のような。あるいはカフェで時間潰しに行き交う通行人を眺める時のような。「何を運んでるんだろう」「どこに行くんだろう」と、解を得られる訳でもない問いを思い浮かべてはボーッとする、そんな時間と同じように、一人の男の日々の起伏をただ淡々となぞるだけの物語…なのに…なのに…なんだこの謎の充足感は…。戦時を除いては生涯をアルプスの山麓で過ごした朴訥な男の一生は、青年期からひたすら何かを失い続けたものなのに、最期も決して華やかではなかったのに、傍観者である自分からは満ち足りたものにしか見えなかった。克服する対象としてではなく、ただそこにあるものとして山が常に傍にあったからだろうか。時に彼に与え、時に彼から奪うことがあっても、心の拠り所して機能していたことは間違いない。寒冷地を舞台にした、暖かい「ある一生」の記録だった。

恐るべき子供たち」ジャン・コクトー(フランス)

恐るべき子供たち (角川文庫)

恐るべき子供たち (角川文庫)

冒頭のシテェ・モンティエの中庭での子供達の雪合戦のシーンが印象的で、何度も繰り返し読んでしまった一冊。密かに恋慕の情を抱いていたダルジェロが投げた石礫入りの雪玉を胸に受け大怪我を負い、自宅で療養の身となったポール。姉エリザベートと共有する部屋で互いに児戯に興じる中、親友のジェラール、そしてダルジェロの面影を宿す少女アガートも彼らの子供部屋という聖域に足を踏み入れるが…。

大人になってしまった人間の手では姉弟の仲を裂くことはできない。それができるとしたら、ポールに白い雪玉を投げつけ、黒い毒薬を手渡した永遠の子供、ダルジェロだけだろう。いずれにせよ大人である読者には舞台上の子供達の狂気を、観客として静かに見守ることだけしか許されていない。そこに意味を見出すのも子供達からすればただただ無粋なだけだろう。

オリエント急行の殺人」アガサ・クリスティー(イギリス)

恥ずかしながらアガサ・クリスティーは『そして誰もいなくなった』しか読んだことがなく、「別に髭面のオッサンの話はあんま興味ねーな」とポアロシリーズも敬遠していたのですが、これを期に雪上の事件が舞台の本作を読んでみることに。

ダマスカスで一仕事を終え、イスタンブール発カレー行きのオリエント急行に乗り合わせた探偵ポアロ。運悪く雪の吹き溜りに嵌り、立ち往生した列車内で事件は起こる。国際色豊かな乗客の中に、犯人のものと思しき影が暗躍しー。う〜ん…やっぱ思った通り列車の中で被害者一名の密室殺人事件とか結構地味だな…あの派手な舞台装置たっぷりの『そして誰もいなくなった』は超えられるかな…と半信半疑でいたら、おいおいおい、こっちも死ぬ程派手だ…!!なんてこった!クライマックスにかけての畳み掛け、オンパレードっぷりが凄く好き。ラストのポアロの判断も、現代が舞台であればまた違ったものになっていたのかもしれないと思うと興味深い。旅情とスリルと冬景色をいっぺんに楽しみたい方にうってつけの一冊。

キャロル」パトリシア・ハイスミス(アメリカ)

キャロル (河出文庫)

キャロル (河出文庫)

クリスマスシーズン真っ只中。NYの百貨店の臨時バイトとして働くテレーズがカウンターからふと顔を上げると、上品な出で立ちの女性がこちらを見つめていた。互いに外せない視線、停止する時間。気が付けば声を掛けられていたテレーズは、キャロルというその女性の自宅に招かれるまでの仲になる。ボーイフレンドとの約束も、友人との予定も全てキャンセルし、彼女との時間に夢中になるテレーズは、今までにない感情に戸惑いつつも、幸せな日々を送っていた。そんな中、キャロルが夫と離婚調停中であること、一人娘の親権を巡り争っていることを知る。全てに疲れ果てていた彼女と共に、アメリカ横断の旅に出るがー。

目が合った瞬間から一気に溺れるような恋、一度は経験してみたいかも。実は本作の映画化作品を一度観たのですが、人生で初めて銀幕越しの役者に心を奪われた、思い出深い作品でもあります。だからなのかもしれないけど、映画と比較すると、キャロルの魅力が少し分かり辛いかも。かなりのドSじゃないか?!ただエンディングはどちらも本当に、本当に素敵。あと、小説の方がテレーズのボーイフレンドのウザさがリアル。「愛しているからこそ」と言い訳しつつも、本当は自身のプライドが許せずテレーズの恋路を邪魔する彼にはイライラを禁じ得ない。そんな理解のない人が多かったからか、発表当時は偽名を使っていた作者。その後、実名での出版を許諾してくれたことで、この良著への賛辞がしっかりと本人に送られるようになって本当に良かった。クリスマスの度に思い出す名作。

極北」マーセル・セロー(イギリス)

極北 (中公文庫)

極北 (中公文庫)

お勧めされてからずっと読みたかったポストアポカリプス物。人類が最も恐れるものは自身の死ではなく種の絶滅ではないか。その究極の最後に立ち会うこととなった主人公は、住民が死に絶えた極北の町で淡々とした日々を送る。一度は忘れかけていた他者の温もりにより心に降りた霜を溶かされるも、この極寒の地で春は長くは続かない。真の孤独を知り、絶望の淵に文字通り身を沈める決意をしたその瞬間、空を横切った一機の飛行機、それを造ったであろう文明の残滓に全ての希望を託し、まだ見ぬ地へと足を踏み出すのだった。

大大大好きなコーマック・マッカーシーの『ザ・ロード』と同じ終末世界を描いている以上、比較せずにはいられない。だた、『ザ・ロード』では言葉を失った獣同然と化した人々が印象的だったが、この作品では例えどれだけ矛盾を抱えていても、生存者たちがそれぞれの倫理・宗教観・矜恃でサバイブしようとしており、理性が残されていた分、少しだけ心穏やかに読めた。後はネタバレになるので細かくは言えないが、主人公の設定が凄く良い。自分の道理に頑なな男達を氷のように冷めた目で見つつ、ひたすら生存確率の高い道を切り拓き続ける。かと思いきや情に流され足を止める場面もあったり。真にハードボイルドな主人公がそうならざるを得なかった経緯、そしてあの日見た飛行機だけを子供のように無邪気に追い続ける姿には胸が痛んだ。

種の終わりという絶望と孤独に直面した時、果たして自分はどのような行動を取るのだろうか。自棄になり自滅する姿しか想像できないが、ラストの主人公のように縋れる希望が作れれば別かもしれない。

クジラの消えた日」ユーリー・ルィトヘウ(ロシア)

20世紀に入るまで文字を持たなかったシベリア少数民族、チュクチの創世神話を元にした物語。クジラと人間は海と陸の兄弟。互いに愛し合い、助け合う。しかし年月が経ち、次第に人間達の記憶も薄れ。伝統を放棄した人間の宿命を描いたラストが良い。老婆ナウの警告に現代の我々は果たしてどこまで耳を貸すだろうか、同じ結末を辿るのではないかという疑念がぬぐえない。凍てつく世界が神秘的で美しく、一度で良いからシベリアなどの厳寒の国を訪れたくなる一冊。鈴木成一デザイン室による装丁も本当に素晴らしく、中身の細部までこだわった逸品なので、手に取る機会があれば是非隅々まで堪能して欲しい。

クリスマス・キャロル」チャールズ・ディケンズ(イギリス)

クリスマス・キャロル (新潮文庫)

クリスマス・キャロル (新潮文庫)

誰に対しても気難しい厭世的な老人スクルージは、勿論クリスマスの時期も人の好意を受け入れるどころか拒み、唾を吐きかけんばかりの勢いで追い払ってしまう。そんなある日、死んで久しい旧友の霊が彼の家に現れ、態度を改めろと忠告する。その後、三体の精霊が過去・現在・そしてこのままだと迎えてしまうであろう未来を順番に老人に見せていき…。アメリカではクリスマスの時期に必ず本屋の店頭に並ぶ超名作。ディケンズは『二都物語』や『オリバー・ツイスト』などで有名だが、どれも凶器並みに分厚い。こちらは珍しく気軽に読める一冊。暖炉の横で、人の優しさや温もりに感謝しながら読みたい寓話。

クリスマスの思い出」トルーマン・カポーティ(アメリカ)

クリスマスの思い出

クリスマスの思い出

このブログ記事で紹介している本の中でどうしても一冊しか他人に勧められないとしたら、こちらを選ぶかもしれないくらいオススメの掌編。僅か79ページで読み易く、美しい挿絵もあるのでクリスマスプレゼントにも最適。先日河川敷で久しぶりに読み返していたら涙が出るわ出るわ…。マスクで顔が隠れていて良かったものの、側から見たらかなり気持ち悪かったに違いない。七歳の「僕」、無二の親友である60歳を超えた「彼女」、そして愛犬クイーニーと共に過ごす毎年の「フルーツケーキの季節」。一年越しで集めた小銭でケーキの材料を買い集め、ツリーの木を伐りに行き、皆のプレゼントを用意する…。「欲しいものがあるのにそれが手に入らないというのはまったく辛いことだよ。でもそれ以上に私が頭にくるのはね、誰かにあげたいと思っているものをあげられないことだよ。」そんな悔しさを滲ませながらも、彼女が代わりに作ってくれた手製の凧で充分、いや、それこそが幸せだったあの頃。自分にもそんな時代があったのを久しく忘れていた。大人としての責務だとか、日々の行為の意義だとか、そういったものはしばらく脇に置いて、大切な人と大切な時間を過ごしたくなるような一冊。

」アンナ・カヴァン(イギリス)

氷 (ちくま文庫)

氷 (ちくま文庫)

要約すれば氷に覆われ終末を迎えつつある世界で、男が少女を追い続ける話。極めてシンプルなストーリーにもかかわらず、最初の数ページ読んだ時点で、「あ…これ絶対好きなヤツ…」と直感し、勿体なさ過ぎて放置、また冒頭から読んで前より読み進めるけど完読したくなくて放置、を繰り返し、少しずつ大事に読んだ本。人に薦めるとかしない、他人が読もうが読むまいがどうでもいい。とにかく自分はこれが好き。氷の破片みたいに世界をバラバラに打ち砕いて、それをまた再結晶させたような支離滅裂なストーリーがまさしく夢のよう。ついさっきまであり得ないことが起きたのに、それをすんなり受け入れている。村上春樹の『1Q84』も同じカテゴリーに入れられることが多い、謂わゆるスリップストリームというジャンルのよう。はぁ〜この作品、終末物なのも最高だし、信頼できない語り手なのも至高。主人公の彼の凍った青水晶のような眼と、彼女の絹糸の髪の描写はあまりにも美し過ぎて何度も繰り返し読んでしまった。絶望も希望も予感させるエンディングも文句なし。自分にとって大切な作品になるのはすぐに分かったので、原語の愛蔵版まで購入してしまった。これは絶対に繰り返し読んでいく作品。

氷の城」タリエイ・ヴェースオース(ノルウェー)

大変な名作なのに絶版…!しかし紹介しない訳にはいかない!常に人の輪の中心にいる主人公シスと、転校生で同い年の寡黙な少女ウン。見えない風に押し吹かれるように出会った二人は、互いの中に自身の姿を見る。しかし、ある日ウンは興味本位で訪れた氷の城に囚われ、帰らぬ人となり。沈黙の誓いを立て大人達の催促にもかかわらず頑なに口を噤むシスは、やがてウンのように周囲から孤立していき…。少女の成長を北欧の厳しい冬から春の雪解けまでに重ね描いた一冊。全体的に不思議な雰囲気の本。氷の城の描写がとにかくひたすら、息が凍りついて呼吸をするのを忘れる程に、綺麗だった。目に氷麗の雫が垂れ落ちても瞬きが出来ない程ただただ文章を見つめ続けたくなるような、人生で一番美しい読書体験で。冬ではなく夏も盛りのうだるような暑さの中で読んだのだけど、息が詰まる程冷たく骨の芯までキン、と響くような美しい小説をそんな時期に読むのも、なかなか風情があるかもしれない。

スミラの雪の感覚」ペーター・ホゥ(デンマーク)

スミラの雪の感覚

スミラの雪の感覚

自分の読書人生の原点はミステリーとサスペンスだという事を思い出すくらい、手に汗握る本格北欧ミステリー!最初の舞台はコペンハーゲン、囲むは氷雪と闇。デンマーク人の父とイヌイットの母を持つ主人公スミラ。雪と孤独を愛する彼女は他人を寄せ付けようとはせず、寄るべきなき日々を送っていた。しかし、彼女と同じように影を抱えた子供が現れて以来、ささやかな幸せの火が灯る。そんな彼が死体で発見されるまではー。死体付近で発見された不可解な雪の跡、謎のテープ、燃え盛る氷上の船。最終的に舞台は氷河漂うグリーンランドにまで及ぶ。

とにかく真相が気になって仕方がない!最後に少々失速してしまったのが残念だが、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』シリーズを始めとした北欧ミステリーが好きな人はオススメ。特に本作はデンマークと旧植民地のグリーンランド間の軋轢や格差など、文化的な背景も丁寧に描いていて、物語に厚みを与えていて良かった。

その雪と血を」ジョー・ネスボ(ノルウェー)

その雪と血を (ハヤカワ・ミステリ)

その雪と血を (ハヤカワ・ミステリ)

北欧ミステリー、二冊目の紹介。今度の舞台はノルウェー。麻薬組織の雇われヒットマン、オーラヴ・ヨハンセンの新しい仕事はボスの妻の始末。しかし暗殺の機会を伺っているうちに彼女に情が移ってしまい…。「殺し屋」と聞くと一匹狼・冷静沈着・寡黙といったイメージが思い浮かぶ中、オーラヴはそれらに加えてどこか「抜けた」所があり、なんとも言えない愛嬌がある。読書好きなのに字は書けない、殺し屋なのに困った人は見捨てられない、仕事は完璧にこなすのに好きな女性には声をかけられない…。そんな主人公が夫人を殺さず匿うシーンから、「えー!」からの「えー!」からの「えー!」の連続が止まらない笑 気付いたらあっという間に読み終えていた。積雪の上に残された○○が印象的なラストはもう何も言えない…。きゅっと短いながらも、ぎゅっと濃密な冬のオスロ(の裏社会)をご堪能あれ。

ドクトル・ジヴァゴ」ボリス・パステルナーク(ロシア)

ドクトル・ジヴァゴ

ドクトル・ジヴァゴ

没落した資産家一家の一人息子ユーリィ・ジバゴは幼い頃に両親を失い孤独の身となるも、親類縁者の庇護の下、医者を目指しながら順調に育つ。そんな彼の人生と度々交錯する、とある美女ラーラの影。そして第一次世界大戦後、ロシア革命の大波が人民を襲う中、二人はついに衝撃の邂逅を果たす。

赤軍・白軍・緑軍、とそれぞれの派閥がそれぞれの思想を掲げながら闘い乱れ、多くの罪無き人々が巻き込まれ、命を落としていった動乱の時代。そんな当時の様子を表現するかのように、本作では始終ロシアの過酷な雪嵐が吹き荒れている。ただ、どんなに崇高な思想の下で大義名分を振りかざしていても、結局人は人。一皮剥けば、「想い人に振り向いて欲しいから」「他人に認められたいから」と、実に矮小な個人の都合で突き動かされていることが分かり、その様子は心底滑稽で、虚しい。そしてこの究極の矮小さが主人公のジバゴに集約されている。彼はただ静かに、誰にも邪魔されることなく、美しい詩を書きたいだけだったのに。そんなちっぽけな個人の夢ですら、結局は他の個の集合体であるロシア革命の嵐が吹き壊してしまうのだった。

それにしても本作はロシア文学のステレオタイプよろしく、登場人物が多い!そこら辺のチョイ役にまで名前をくれてやってんじゃねぇ!名前のバーゲンセールか!とキレる程だったんですが、「あ…動乱の中、生きて死んでいった人達全員にソポットライトを当ててるのか」と良い方に解釈したら鳥肌が立ちました。でもやっぱり読了まではだいぶ骨が折れた笑

亡き王女のためのパヴァーヌ」パク・ミンギュ(韓国)

「雪に降られて、彼女は立っていた。」

本作と同名のラヴェルの楽曲を聴きながら読むと、冒頭の一文のように静かに雪が降り続けているかのように錯覚する純愛小説。「この世は目くらまし」。「目を欺きさえすれば…目を満足させてやりさえすれば、地獄の果てまでも駆けていく愚か者たち」で満たされたこの世界で、どうしても居場所を見つけることができなかった僕と彼女とヨハン。80年代の韓国、携帯やインターネットがなかったとはいえ、誰かしらの消息を追おうと思えば友人や近親者の伝手を辿って突き止めることもできただろう。ただこの三人は揃って簡単に足跡を消してしまえるような、雪の結晶のように脆く儚げな存在で。だからこそ互いを見つけ、支え合えた「奇跡」を尊ばずにはいられない。まさかのミステリー小説のような衝撃のラストに目を剥いたが、どちらの可能性も大事に心にしまっておこうと思う。

ちなみに原作の表紙はラヴェルの楽曲、そして本作のモチーフとなったベラスケスの『ラス・メニーナス』のある人物に文字通り光を当て、物語の主題であるルッキズムにフォーカスしている。美男美女しか出てこない作品を大量に排出し続け、容姿に基づいたランキングを日常的に目にし、外出するのにも最低限の身嗜みを求められるこの社会で生きるのに、多少疲れていた心にゆっくりと染み込む一冊だった。

火を熾す」ジャック・ロンドン(アメリカ)

瞼を上げた途端に結膜が凍り、冷気を吸い込んだ瞬間に喉を灼き尽くし、四肢の末端の感覚はとうに消え失せたような、あの寒さをあなたは体感したことがあるだろうか。…いや別に自分もないんですが、摂氏マイナス60度〜70度の極寒の地に、まるで己も捕らわれたかのように錯覚する程の没入感で描いた表題作「火を熾す」を始めとした超傑作短編集、読んで損はありません!

「この世で一番恐ろしいモノは人間」だって?いやいやいやいや、と全力で首を横に振ってしまう程に著者の描く自然が恐い、恐い、恐い。そして例え自然を題材にしていなくとも、落ちれば一溜まりもない薄氷の上を歩くような緊張感を覚え、気が付けば本を握る手と腹に力が篭っているような作品ばかり。何でここまで生死の狭間をリアルに描けるんだろう、もしや著者も臨死体験を経たのでは、と不思議に思っていたら、カナダとアラスカの境にあるクロンダイクで壊血病を患った経験があるそう。そのためか、短編は自然への畏怖、生への執着、勝利への渇望、競争心、老いへの諦念、などなど原始的な感情が呼び覚まされる物語が多い印象。中でも「メキシコ人」はエンターテインメントの粋を集めた傑作で、終始鳥肌が止まらない。他にも「水の子」(老人が語るハワイの寓話)、「影と閃光」(透明人間SF)、「世界が若かったとき」(二重人格SF)など、イメージの大きく違う短編が収録されており作者の引き出しの多さが伺える。

長めの冬休み、自宅でぬくぬくしながら手っ取り早く極北の地で臨死体験がしてみたい…。という奇特な方には、こちらの一冊がピッタリ。

灰色の輝ける贈り物」「冬の犬」アリステア・マクラウド(カナダ)

冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)

冬の犬 (新潮クレスト・ブックス)

筆者が少年期を過ごしたカナダの東岸に位置するノヴァ・スコシア州ケープ・ブレトン島を主な舞台とした短編集。生涯で残した16編を時系列に纏めた作品集"Island"を、邦訳に当たり、前編の『灰色の輝ける贈り物』と後編の『冬の犬』に分け出版。スコットランドの移民が多く、主な産業も漁業・炭鉱業・林業という死と隣り合わせのものばかりのこの地域にも、時代の変化は波のように打ち寄せ、人々を飲み込んでしまう。豊かだった水や鉱脈は枯れ、誇り高き男達は老い衰え、伝統を受け継ぐはずだった息子や孫達は流れ出る血のように幹線道路を辿り都市部へと消えてしまう。しかし、筆者の記憶、そしてこの物語に残されたケープ・ブレトンの人々は、彼らが歌うゲール語の民謡のように力強く、誇り高く、美しい。ほんっっっとうに良い作品ばかりだった…。特に「船」ー漁師にならざるを得なかった父の思い出、「灰色の輝ける贈り物」ー成人への一歩そしてさりげない後押し、「秋に」ーラストの秀逸な夫婦の描写、「完璧なる調和」ーゲール語の遺産を描いた四編が凄く好きだった…。冬を舞台にした短編は『冬の犬』が多いものの、できればどちらも読んで欲しい…。

冬の物語」イサク・ディネセン(デンマーク)

冬の物語

冬の物語

デンマーク語と英語のバイリンガル作家による短編集。前者での作品発表時には本名のカレン・ブリクセン名義を、後者の時にはペンネームのイサク・ディネセン名義を使用していたものの、なぜか邦訳出版時には両名義が入り乱れ少し紛らわしいのが勿体ない。本作は、このブログ記事で紹介している本の中で唯一直接的に冬を舞台にしていない物語ばかりが収録されている。ただ、ナチス占領下のデンマークで自邸の庭に露営するドイツ軍兵士の監視を受けながら執筆された短編の数々は、暗く荒涼とした「冬の時代」の苦難をまず受け止め、時に耐え忍び、時に柔軟にいなす人々が描かれており、まさに長い冬に読むにうってつけの一冊。特に好きだったのは女性の気高く凛とした佇まいが印象的な「無敵の奴隷所有者たち」「女の英雄」「アルクメーネ」「ペーターとローサ」「悲しみの畑」(多いな)。丸や三角の積木を同じ形の穴に嵌める子供の玩具と同じように、「この話は寓話」「この話は勧善懲悪物」と型に嵌めながら読もうとしてしまうのが自分の悪い癖なのだけど、ディネセンの物語はどれも巧く嵌めようにも嵌らない。特に「無敵の〜」「悲しみの畑」「ペーターとローサ」は、登場人物達の行動原理が自分のそれとは大幅に違い、読後は唸りながらなんとか自分の中で咀嚼しようと頭を抱えてしまった。この据わりの悪さが逆に癖になりそう、また読書ガイドと共に読もうと思う。

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

バベットの晩餐会 (ちくま文庫)

ちなみに冬が舞台の物語はこちら。フランス人の料理人によって実現する最高の一夜、亀のシーンに思わず声を出して笑ってしまった。どんな霜をも溶かす暖かい一冊。

闇の左手」アーシュラ・K・ル=グウィン(アメリカ)

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))

闇の左手 (ハヤカワ文庫 SF (252))

ネビュラとヒューゴー賞の二つのSF文学賞をW受賞した有名古典SF小説。過去に一度挑戦したものの、冒頭の固有名詞のオンパレードにパニックになってしまい暫く放置していた本作を今回を機に再読。えぇ~ナニコレ本当に良い…本当に…良い…。読了して一ヶ月経った今でも、目を瞑ればすぐに〈冬〉の氷原が浮かぶ程にはまだ余韻が抜けていない…。色々と胸に迫るものがあったので、何度も読み返すと思う。

未だ惑星外の生命体の存在を知らない辺境の惑星〈冬〉に住むゲセンの民に対して、宇宙連合エクーメンへの加入を促すため、使節の一人として彼らの下に訪れたゲンリ―・アイ。あくまで友好的外交を図る彼だったが、ゲセンの人々の「在り方」の違いに戸惑いを隠せない。誠意に満ちたように思える言葉の裏の真意は見えず、複数の国家や派閥の思惑も錯綜し…。また、発情期にしか男女の性が固定せず、通常時は無性であるゲセンの人々にとっては、常に男性であるアイは悪く言えば性的倒錯者のような存在で、奇異の目で見てくることもしばしばあるのだった。そんな中、まずはカルハイド国の王への謁見を試みたものの、頼みの綱であった宰相のエストラーベンが国外追放の憂き目に遭い…。

楽しみ方が無限にあるのが本作の魅力。まずは未知の民の信仰と風俗に初めて触れる、アイの体験をなぞる紀行文として。住まいの造りだとか、口にする物だとか、細かい所まで凝っていて興味深い。途中途中で挿し挟まれる民話や伝奇にもカラクリがあり、何度も戻って読み返してしまう。あとアイがずっと寒い寒い言っててこっちにまで震えが移りそう笑 また、性が可変であったなら社会はどのようなものになるか、といった思考実験の手本としても面白い。ニュートラルな存在ではなく、どちらにも転び得る両性の存在であるゲセン人。例えば男女にだけでなく、現代社会で弱者に位置付けられてしまう老人にも障害者にも貧者にも、誰もが交代で明日にはなる可能性があったとしたら導入される政策はどのように変わるのだろう、と思考を飛躍させてみても面白い。単純に大局的見地に立った二人の「きみとぼく」の物語として楽しむことも充分にできる。世界の命運を握った二人が、自身のためでなく世界のための選択をするのが…尊い…。

熱が篭り過ぎて感想が長文になってしまう程に間違いのない名作。未読の方は是非是非読んでくれ~!

」オルハン・パムク(トルコ)

雪〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

雪〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

敬虔な少女達の連続自殺を取材するため、また、学生時代に出会った美しきイペッキと再会するため、十数年の時を経て亡命先のドイツからトルコに帰省した詩人Ka。雪(kar)が降り頻る地方都市カルス(Kars)を訪れた彼が、イスラム派の市長選候補、宗教学校の生徒、テロリストとして追われる身であるイスラム原理主義者のカリスマ「群青」との対話を重ねる中、世俗派による軍事クーデターが発生。いよいよKaは西と東、個人と集団、世俗主義とイスラム主義、両陣営に属する者達から立場の表明を迫られー。

短い間だがトルコに住んでいたことがあるので、政治と宗教という、なかなか取っ付き難いテーマを扱っていながらも充分楽しめた。盗聴とか確かにあったなぁ…としみじみ…。同作家の『わたしの名は赤』でも見られた、西洋と東洋の二項対立が中心に据えられた本作。自分がトルコに住んでいた時は、逆に政府主導でイスラム主義に傾倒していた印象なので(2020年からはアヤソフィアの聖堂をモスク化して、聖母子像や天使の絵が隠されているくらい)宗教化を押さえ込もうとしていた時代があったのか、と少しビックリした。誰の上であっても雪の結晶は平等に降り積もるのに、前述の二項対立だけでなく経済的格差、マジョリティであるトルコ人とマイノリティであるクルド人やアルメニア人との対立など、様々な確執が雪に閉ざされた街カルスで顕在化する。ただの詩人として、物事から距離を置き状況を俯瞰したい、日常の中で神の存在を肌で感じたい、というKaのささやかな願望も許されない複雑なトルコの事情を垣間見ることができた。遠藤周作の『沈黙』が好きだった人にも勧めたいかも、とふと思う。

雪を待つ」ラシャムジャ(チベット)

チベット文学の新世代 雪を待つ

チベット文学の新世代 雪を待つ

前編と後編の対比が凄まじいチベットの長編小説。前編の舞台はチベット東北部。山に囲まれ半農半牧の民が静かに暮らすマルナン村では、村長の息子であり主人公のぼく、幼馴染のタルペ、ニマ・トンドゥプ、そしてセルドンの四人が野を駆け巡る。白く覆われた山裾に朝の陽光が当たり雪面がキラキラと光り輝く様、凍てつく空気に喉が締まり吐いた息が染まる様、チベットの大地に子らが跳ねる姿が眼前に広がるようでただただ美しい。しかしのんびりとした暮らしも時が進むと共に不可逆的な変化を経て、後編、二十代後半になったぼくは息が詰まるような都会でただ一人雪を待つのだった。大人に諾々と従うだけだった四人の子供が成長し、それぞれの欲に溺れるようになった現代。そんな今の時代だからこそ、人として忘れてはならない宝が何かを呼び覚まし、心に刻み付けてくれるような作品。

ライオンと魔女」C・S・ルイス(イギリス)

小学生の時に学校の課題で、この本を元にすごろくゲームを作ったくらい好きだった思い出の一冊!第二次世界大戦の開始と共にイギリス地方に疎開した四人の兄弟姉妹。身を寄せた屋敷の一室で、末っ子のルーシィは異界に繋がるクローゼットを発見する。毛皮のコートの林を抜けると現れる雪深い森に立つ一本の街灯。真っ赤なマフラーをつけた半獣のタムナス、親切なビーバー夫妻、「王の中の王」として崇められるライオンのアスランに、ナルニア国を冬に閉じ込め掌握せんと目論む白い魔女。20年以上経った今も登場人物と内容をしっかりと覚えていたくらい印象的な物語。著者のキリスト教思想を下敷きとしているためか、多少勧善懲悪的なテーマがベタに感じられるものの、創造主さえも絶対遵守の対象となる魔「法」の概念がなかなか面白かった。未読の続編も是非読みたい。「冬」と考え真っ先に思い浮かんだ赤いマフラーのタムナスさんに皆さんもお会いしてみては。